2014年04月16日

外務省79年組とソロモン諸島の地震と戦争屋

いっせいに、「消費税増税に負けない節約特集」をやるんだよね。理不尽に対して、智恵で乗り切れみたいな。一方で
消費税増税の政府広報CM。「消費税率8%にご理解ください」だと。こんなCMは無意味。 http://inagist.com/all/451561809531904000/%E6%B6%88%E8%B2%BB%E7%A8%8E%E5%A2%97%E7%A8%8E%E3%81%AE%E6%94%BF%E5%BA%9C%E5%BA%83%E5%A0%B1%EF%BC%A3%EF%BC%AD%E3%80%82%E3%80%8C%E6%B6%88%E8%B2%BB%E7%A8%8E%E7%8E%87%EF%BC%98%EF%BC%85%E3%81%AB%E3%81%94%E7%90%86%E8%A7%A3%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84%E3%80%8D%E3%81%A0%E3%81%A8%E3%80%82%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%AA%EF%BC%A3%EF%BC%AD%E3%81%AF%E7%84%A1%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%80%82

消費増税かこつけ政府広報予算5割増
http://www.asyura2.com/14/senkyo162/msg/242.html






子どもの死、4%が予防可能 5歳未満、東京で調査
http://www.47news.jp/CN/201404/CN2014041301001711.html
死因別で最も多かったのは「染色体異常や出生時の重症仮死など」で68%。「がんなどの病気や感染症」が13%、「外傷や溺死、窒息などの外的要因」が6%だった。
2014/04/13 21:04 【共同通信】


https://mobile.twitter.com/BQN_yachiyo2/status/455335505333211136?p=v
BQN
@BQN_yachiyo2
@GuciYama これ、裏をかえせば5歳未満の子どもの死は「96%が予防不可能」って記事なんですね www



https://mobile.twitter.com/GuciYama/status/455336259431313408?p=v
GuciYama
@GuciYama
大人から子どもまで突然死キャンペーンという流れ 何かが始まったみたいだね


https://mobile.twitter.com/GuciYama/status/455336727695990784?p=v
GuciYama
@GuciYama
SIDS(シズ:乳幼児突然死症候群)とは、それまで元気だった赤ちゃんが事故や窒息ではなく、眠っている間に突然死亡してしまう病気です。原因はまだよくわかっていませんが、
http://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/21035a/sids.html
新しい命をSIDSから守ろう! - 福島県ホームページ 福島県HP



https://mobile.twitter.com/masakarinuts/status/455693184975118336?p=v
まさかりナッツ
@masakarinuts
平成17年に被害が最多だったのに、なぜそれを平成25年に改めて言い出すのか、不思議ですなぁ(棒)


https://mobile.twitter.com/GuciYama/status/455337233852030977?p=v
GuciYama
@GuciYama
「原因はまだよくわかっていませんが、」がこのページの中で一番印象的 よくわからない原因で赤ちゃんが突然死しますが新しい横文字を加えてキャンペーンして、よくわからないけどそれで防げるの?



神経細胞 蓄積 セシウム  ヤッホー検索

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E7%B4%B0%E8%83%9E+%E8%93%84%E7%A9%8D+%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&pstart=1&fr=top_ga1_sa&b=41

復習を兼ねて、核種それぞれで検索してくだはい。



https://mobile.twitter.com/Santiago_Hotel/status/456313660592250880?p=v
とんとかいも(tomtokaimo)
@Santiago_Hotel
この1年間の人口千人当り月当り死亡数が1年前より増えている地域http://t.co/nFr4FAn2BJ
青森・下北半島周辺、秋田北半分、山形・西半分、福島全域、新潟下越全域、群馬西部、埼玉南西・東部、茨城南部、千葉市周辺、神奈川三浦半島周辺・厚木周辺




↓↓こーいった方面の話も入れとくよ。

https://twitter.com/Portirland/status/453928253913198593
たむごん‏@Portirland 4月9日
何%が、仕事が原因なんやろ? 何%が、生活面で問題あるのに避妊してないんやろ? 肝心なことが何もない記事やな。
>>>毎年20万人が中絶 女性が働きながら出産の環境が貧困な日本(NEWS ポストセブン) - Y!ニュース
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140409-00000009-pseven-soci



日本財団、特別養子縁組を支援 6月から募集
2014/04/10 18:05 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201404/CN2014041001001302.html

日本財団は10日、戸籍上も養父母の実子と同じ扱いになる「特別養子縁組」の普及を目指し、民間のあっせん団体に資金協力すると発表した。1団体当たり1千万円を上限に運営費を助成、6月から募集を始める。

 特別養子縁組は主に6歳未満の子どもが対象。実の親が育てられない事情があり、家庭裁判所が子どもの利益のために必要と認めれば成立し、実の親との親子関係がなくなる。最高裁によると、2012年の成立件数は339件だった。
 日本財団は養子縁組を円滑に進めるため、養父母を対象とする子育てに関する研修を実施するほか、望まない妊娠をした女性向けの相談窓口も設置する。



http://desuperado.seesaa.net/article/390793931.html
芸能人のDNA騒ぎあったでしょう?あれは、印象づけだったのね。DNAの。婚外子の同額相続は、狙った土地資産を 奪い取る方法の一つだったわけ。 判定はDNA.(捏造できる) 独身だって、油断できない。非モテでも油断できない。




はい。

ただ並べてみただけですYO
気にしないで(棒)


さて、地震の話にいこーかな。



velvetmorning blog
ソロモン諸島)で大きな地震が立て続けに起きています ― 2014/04/13
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/04/13/7274294








平成25年1月31日 日豪物品役務協定の発効 外務省http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/25/1/0131_01.html
本31日、日・豪物品役務相互提供協定(日豪ACSA)は、日豪両政府間で、本協定の効力発生に必要な自己の内部承認手続を完了した旨を相互に通告する外交上の公文の交換が行われたことにより、効力を生じました。
本協定の発効は、自衛隊と豪国防軍との間の緊密な協力を促進し、基本的な価値と利益を共有する戦略的パートナーである日豪関係の更なる強化に資するとともに、両国の国際的な協力に積極的に寄与すると考えられます。
【 参考1 】協定の正式名称
正式名称は「日本国の自衛隊とオーストラリア国防軍との間における物品又は役務の相互の提供に関する日本国政府とオーストラリア政府との間の協定」。
【 参考2 】協定のポイント


本協定は、我が国とオーストラリアの間で、我が国の自衛隊又は豪国防軍により実施される以下の活動のために必要な物品・役務の相互の提供に関する基本的な条件を定めるもの。
(1)共同訓練
(2)国際連合平和維持活動、人道的な国際救援活動又は大規模災害への対処のための活動
(3)外国での緊急事態における自国民等の輸送
(4)連絡調整その他の日常的な活動


この協定に基づいて提供される物品・役務は、食料、水、宿泊、輸送、燃料、衛生業務、部品・構成品等に係るものとし、武器・弾薬の提供は含まない。
【 参考3 】本協定の署名から発効に至るまでの主な手続きの流れ
平成22年 5月19日 署名(於:東京)
平成23年 4月15日 国会の承認
平成24年 11月26日 本協定の実施に係る「自衛隊法等の一部を改正する法律」公布
平成25年 1月31日 外交上の公文の交換(於:キャンベラ)
       
日・豪物品役務相互提供協定
各国・地域情勢
オーストラリア連邦
アジア大洋州局 大洋州課



平成25年2月6日 ソロモン諸島で、M8の地震

velvetmorning blog
311の時とそっくりな崩壊の仕方 サンタクルスアイランド(ソロモン諸島)でM8の地震 ― 2013/02/06

http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/02/06/6714058






2013年7月30日 日本がフィリピンに巡視船10隻と100億円を供与
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=74899



2013年11月4日 フィリピン台風



誠天調書 2013年11月08日
NSC(国家安全保障会議) とは 事実上のGHQの再誕生 を意味する。 その最初の掠奪品が東電の送電網なのかい?


2013/11/09 自衛隊の幹部、曹士に対し2時間待機命令 日本海と青森・三陸沖の深海掘削地点で、海水温が上昇: velvetmorning blog
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/11/09/7049159

2013年11月09日 中露とアジアと戦争屋 メモ: デスペのはんなり日記
http://desuperado.seesaa.net/article/379727686.html

2013/11/10 特定秘密保護法案 茨城南部震度5弱 食べて応援 癌利権: velvetmorning blog
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/11/10/7050066

2013年11月10日 11月9日フィリピンの台風と自衛隊の動き  メモ: デスペのはんなり日記
http://desuperado.seesaa.net/article/379824497.html

2013年11月10日 気象操作と公共工事: デスペのはんなり日記
http://desuperado.seesaa.net/article/379887718.html


誠天調書 2013年11月10日
新しい戦争と同時に古い戦争も考慮していかなければ 簡単に殺されるだけとなるんだろうね。
http://mkt5126.seesaa.net/article/379906228.html




この時は、国連気候変動枠組み条約第19回締約国会議(COP19)を開催してたときですよ。


>2013年7月30日 日本がフィリピンに巡視船10隻と100億円を供与

この時は、COPのアジア版をニホンで開催してましたよ。



平成26年4月11日(金)定例閣議案件
http://www.kantei.go.jp/jp/kakugi/2014/kakugi-2014041101.html
エネルギー基本計画の変更について(決定)
(経済産業省)

フィジー国及びバヌアツ国駐箚特命全権大使花谷卓治に交付すべき信任状及び前任特命全権大使大嶋英一の解任状につき認証を仰ぐことについて(決定)
(外務省)


花谷 卓治
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E8%B0%B7%E5%8D%93%E6%B2%BB


2014.4.12  米軍の比回帰で大筋合意 新協定
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140412/asi14041200400001-n1.htm
フィリピン政府によると、同国と米国の外務・国防当局者は11日、フィリピンへの米軍派遣拡大を図る新軍事協定案の主な条項で大筋合意した。10日からマニラで、8回目の協議が開かれていた。フィリピン政府は、アキノ大統領が今回の合意を再審査するとして、詳細は公表しなかった。
 新協定は米軍のアジア重視戦略の一環で、東西冷戦終結後に駐留軍を引き揚げたフィリピンへの回帰となる。南シナ海の領有権をめぐり中国と対立を深めるフィリピンは、米軍の存在感の増大を抑止力としたい意向だ。
 交渉筋によると、今回の合意は4月末のオバマ米大統領のフィリピン訪問を控えて成果をアピールする狙いがある。ただフィリピンの上院議員の一部は、同国憲法が外国軍の駐留を禁じていることから「事実上、米軍の駐留を許し、憲法違反だ」と反発している。(共同)




2014年4月13日 ソロモン諸島地震
http://bousai.tenki.jp/bousai/earthquake/detail-20140413052055.html



velvetmorning blog
ソロモン諸島)で大きな地震が立て続けに起きています ― 2014/04/13

http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/04/13/7274294







南太平洋における深海底鉱物資源調査成果 -21年間のSOPAC調査- 平成18年1月24日
http://mric.jogmec.go.jp/kouenkai_index/2006/briefing_060124_okamoto.pdf#search='%E5%8D%97%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E3%81%AE%E9%89%B1%E7%89%A9%E8%B3%87%E6%BA%90


資源 (探査船)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%87%E6%BA%90_(%E6%8E%A2%E6%9F%BB%E8%88%B9)
資源(しげん)は、2007年(平成19年)に日本が保有、運用することになった探査船である。元はノルウェーの資源企業Petroleum Geo-Services社が運用するラムフォーム・ヴィクトリー(Ramform Victory)で、日本で唯一の[3]高度な探査能力を有する三次元物理探査船であり、経済産業省所有の公船である[2]。このタイプの探査船を日本はこれまで有していなかった。


経緯[編集]
広大なEEZを有する日本が高機能の探査船を保有していないことはずいぶん前から問題であると専門家からは盛んに指摘されていた。しかし、このことが政府で課題と認識されるようになったのは、日中中間線上のガス田開発問題が、問題として認識されるようになってからである。この問題で日本政府は完全に後手に回り、いくら抗議しようが中国に開発を中止させることはできなかった。日本も遅ればせながら該当海域の探査に踏み切ることになったが、国内に妥当な船舶がないため、ノルウェーの資源企業が有するラムフォーム・ヴィクトリーをチャーターするに至ったのである。
ラムフォーム・ヴィクトリーの探査実施に対し、中国政府は侵害行為であるとして抗議するとともに実力行使を辞さず、艦艇が追跡してこれを妨害し、報道によれば衝突寸前までいったともされる。[4]かねてよりの探査船を保有すべきとの意見に加えて、このようなこともあって、日本政府は探査船を国際法によって保護される政府公船とすることを決め、購入、船名を「資源」と改めた。購入費用は約230億円であるが、運用には長期的にPGS社の支援を受けることになる模様で、さらにその費用が支払われるようである。資源の運用とデータ分析はPGS社の協力のもとに石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)が行う。PGS社のCEOは、「本契約は(売却による)現金収入と(協力事業による)長期的な収益に終わるものではなく、将来の有望な資源開発に加わるチャンスをもたらした」旨述べたとされる。[5]
2008年(平成20年)2月の再就役後、まずは日本海で新潟県中越沖地震関連の探査を行ったのち、10年間で7万平方kmの探査に取り組む計画が定められている。


「資源」の調査結果を踏まえてちきゅう号が出張ったりするらしい。↓↓12P


平成2 5 年1 1 月6 日 「海洋エネルギー・鉱物資源開発計画」に関する進捗状況及び見直しについてhttp://www.meti.go.jp/committee/sougouenergy/shigen_nenryo/pdf/001_04_00.pdf#search='%E5%8D%97%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%B7%B1%E6%B5%B7%E5%BA%95%E9%89%B1%E7%89%A9%E8%B3%87%E6%BA%90%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E6%88%90%E6%9E%9C



2013年7月5日 海底熱水鉱床開発計画第1期最終評価報告書
http://www.meti.go.jp/press/2013/07/20130705003/20130705003-2.pdf#search='JOGMEC%E3%81%AE%E6%B5%B7%E5%BA%95%E7%86%B1%E6%B0%B4%E9%89%B1%E5%BA%8A%E3%81%AE%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E3%81%9F

↑↑↑は、日本近海のだけど。 p89から委員名 住友金属 パンパシフィックカッパー三菱マテ DOWA 新日鉄住金 彦島精錬?


彦島製錬株式会社
http://www.mitsui-kinzoku.co.jp/group/mkr/office.html
三井金属グループなのね。


気になった事業所があったですよ。


神岡鉱業株式会社
〒506-1196
岐阜県飛騨市神岡町鹿間1-1

神岡鉱業株式会社は、非鉄金属製錬、電子材料の製造、販売、 地下空間利用、リサイクル事業と非常に多岐にわたります。 特に鉛リサイクル工場では、かつて鉱石から鉛地金を製造していた鉛製錬設備を利用し、様々なリサイクル原料から鉛・貴金属・コバルト等を回収しています。


処理可能なリサイクル原料(産業廃棄物を含む)
・廃鉛バッテリー
・廃電子基板
・ガラス屑
・その他貴金属含有スクラップ




神岡・・・ニュートリノのある場所だよね。
「地下空間利用」ってのがね、ひっかかった。神岡ニュートリノも地下でいろいろやってますな。
あのイタイイタイ病の鉱山跡を使って。


吉田卓司
http://minetec.sakura.ne.jp/hitetu/interview/yosida.html
三井金属鉱業株式会社
金属環境事業本部 技術部 部長
1975年入社、八戸製錬所配属、1979年資源開発大学校入学、1980年同大卒業後、八戸製錬、1983年本社研究開発本部・企画部、1984年神岡鉱業所鉛製錬課、1986年中央研究所・金属材料研究室、1990年同研究所・企画室、1994年同研究所・製錬研究室長、1999年ニューヨーク勤務(米国三井金属Vice President)、2000年本社金属事業本部・技術部副部長、2003年MSZinc技術部長、2006年から現職。


国際資源大学校(金属鉱業研修技術センター)
http://minetec.sakura.ne.jp/hitetu/institut/index.html
財団法人国際資源大学校は、1970(昭和45)年、秀峰富士山を眼前に臨む静岡県富士宮市の貿易研修センター内に、財団法人資源開発大学校としてスタートしました。












渡辺喜美代表の辞任より興味深い、DHC8億円の発生源とPCBの行方
http://brog.keiten.net/?eid=1096627
司法ジャーナルで産廃問題が取り上げられているが、県によって取り組みがまちまちである。茨城県の行政も出鱈目のようである。

当紙で取り上げてる群馬県も産廃に関しては大甘である。その点、千葉県なんか行政も頑張っている。芸能界のドンである周防氏の銚子の産廃場なんかは一度は許可を出しておきながら、営業直前に許可を取り上げられている。

一方、鹿島の羽田沖問題は浜邦久監査役の力なのか、中曽根元総理の入り婿子息に遠慮してか知らぬが、不問に付されている。余りに不公平さを感じる。あの時は民主党政権だった。

ところで、みんなの党の渡辺喜美代表が辞任した。理由はDHCの吉田会長から8億円借りたことだった。

8億借りた渡辺氏の方ばかり騒がれてるが、8億出したDHCの話をしよう。DHCは8億の金を何処から手に入れたのか。それはTSK隣地の土地取引ではないのか。

同じく隣地の和田ビル取り引きでは国税特捜が富士薬品を調べた。富士薬品は5億の追徴を認めて、ばっくれた。利益は40億はあったはずだ。

それを富士薬品と元公認会計士宮坂等の脱税、逮捕で終らせたようだが、当時から政治家に金が流れたという噂があった。

DHCビルも売って利益出したわけで、ここら辺りが論じられるべきだ。有名議員に金が流れたという話は根強くあった。

そしてその売却の時に暗躍したのが、伊平吉という在日で、ツムラ順天堂背任事件の背景だそうだ。TS企画という会社があったそうな。アリアスとかも。勿論金は政治家に流れている。仙谷、渡辺、その他大勢である。銀座秀吉ビルと同じ構図らしい。

中村某は銀座秀吉ビル地上げで20数億の脱税背負って、1年2ヶ月の懲役に行ったらしいが、通常20数億は懲役10年コースらしい。仙谷議員の関与が噂される所以である。

また中村某は西新宿でも地上げしてるらしいが、中村某から頼まれた司法書士は、死んだ人間の名前で登記させたという話も聞いたことがある。

DHCビルには、TSKビルのPCBとDHCから出たPCBが保管されていたという。ご存知のように、PCBは譲渡禁止、移動禁止、さてこのPCBは何処に消えたのだろう。

鹿島はマニフェストなくして横浜建設現場のガラ、8000立方も捨てさせる会社である。PCBなんて平気の平左であろう。

まぁ、行政含めて白を切っても、和田ビルにPCBが保管され、コンテナに移設されていたのは証拠がある。そして今TSK跡地、和田ビル跡地、DHCビル跡地にはPCBがない。

どこに行ったのだろう。



はい。
で、こんな話。


住友不動産が米ファンドを返り討ちに!? 〜バブルの"怨念"渦巻く「六本木TSKビル跡地」をめぐる攻防劇2012年06月28日
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32874


2014年04月03日 住友不動産が格安116億円でついに取得http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38848
六本木の有名物件めぐる訴訟が意外に早く和解決着
広域暴力団「東声会」を率いた町井久之氏が、実業家への夢を託して築き上げた六本木TSKビル――。
2002年に町井氏は死去。以降、地下鉄六本木駅から徒歩数分の場所にあるこのビルは、町井氏が残した複雑な権利関係を解きほぐし、一団の土地に仕上げて“果実”を得ようと、不動産ブローカー、地上げ屋、事件屋、仕事師といった名うてのプロが集まり、腕を競った。
その結果、都内の不動産会社「双海通商」が、系列の都市アーバン開発を使って土地をまとめ、解体して更地にし、2011年10月、大手の住友不動産に売却した。
しかし、すぐに異議が唱えられた。
米国を中心に、日本、香港、インド、フランスなどに投資する1兆円ファンド「マラソン・アセット・マネジメント(マラソン社)」が、「真の所有権者は我々(同社と傘下ファンドのコモン・ウェル・マネジメント・インク)だ」として、住友不動産に対し、所有権移転登記抹消を請求する訴訟を起こした。
外資系ファンドが、日本有数の大手法律事務所を使って法廷闘争を仕掛けてきた。決着までに長期戦が予想され、後述するように、所有権移転の際どさもあって、マラソン社優位の決着も予想された。
そこに至るまでの過程と争点を、私は本コラムで〈住友不動産が米ファンドを返り討ちに!? バブルの“怨念”渦巻く「六本木TSKビル跡地」をめぐる攻防劇〉(12年6月28日配信)と題してお伝えした。

ミニバブル時は「坪5000万円でもおかしくない」
六本木TSKビルは、ビルといっても一棟の建物ではない。円形の中庭を低層のマンションと商業ビルが取り囲み、それぞれが渡り廊下で結ばれる複雑な形状をしていた。
町井氏の“威光”なのか、建物の登記さえなされていない複雑な物件を、双海通商がまとめることができたのは、なぜか。
同社代表の浅井健二氏の兄の哲彦氏が、日本空手松濤連盟の道場主で、警視庁で師範を務めるなど警察当局にパイプがあったこと、健二氏や都市アーバン開発代表などが道場仲間で結束力があったこと、そして彼らの資金源が破綻前のリーマン・ブラザーズで資金力が万全であったこと、などが背景にある。
このリーマンの債権を引き継いだのがマラソン社である。従って、同社の認識では、双海通商と都市アーバン開発は、ダミー会社だった。
ダミー会社の“努力”によって、複雑な権利関係は調整され、競売による所有権移転や合筆によって、08年4月までに、現地は1140坪の一団の土地となった。
マラソン社の名は、所有権を示す甲区にも、負債状況などを示す乙区にも登場しないが、マラソン社は必要書類と印鑑類などを法律事務所の預かりとすることによって、権利を保全している“つもり”だった。
しかし、都市アーバン開発=双海通商は、81億円で住友不動産に売却した。坪単価は710万円。
リーマンショック前のミニバブルの際、「坪5000万円でもおかしくない」といわれ、その価値を信じてリーマンから債権を引き継いだマラソン社としては、驚天動地の出来事だった。

住友不動産は超一等地1300坪を116億円で獲得
だから、訴訟を起こした。
@ 所有権を示す書類を保有していたのはマラソン社が委託した法律事務所。
A 都市アーバン開発の代表は、ダミーの役割を認識し、その旨を誓う書類にサインをした。
B 都市アーバン開発は銀行口座や代表印を新たに作り、必要書類は紛失を理由に再生した。
こうしたマラソン社の主張を聞けば、資金源がマラソン社であったという事実も含め、マラソン社に理があるように思える。
また住友不動産は、この一団の土地の実質的な権利者がマラソン社であるのを事前に知っていたのに加え、六本木通りに面した入り口部分約120坪は、TSKビルに関わらない部分としてマラソン社が保有していることも承知しており、「善意の第三者」というには無理があった。
しかし、都市アーバン開発は、マラソン社が権利関係の法的な保全をしていないことを理由に売却を実行。住友不動産は、マラソン社とトラブルになるのを承知で購入した。
両社とも外資との訴訟リスクを怖れなかった。それは、モラル面での問題はあっても法的な瑕疵はないという確信からで、「和解による決着」はそれを証明した。

関係者によれば、都市アーバン開発は事実上の所有権をマラソン社に譲り、少なくない金額の和解金を取得。
マラソン社は住友不動産が裁判所に供託していた81億円を入手したうえで、出入り口となる重要部分約120坪を約35億円で、住友不動産に売却したという。坪3500万円と高く、ここで“調整”が図られた。
一連の決着で、12年5月に設置された「地上34階建ての共同住宅を建設する」という看板は撤去され、より高度利用の高層オフィスビルが建設されることになろう。
双海通商は苦節12年の“果実”を手にし、住友不動産は116億円と格安の価格で一等地1300坪を取得した。




渡辺喜美代表の辞任より興味深い、DHC8億円の発生源とPCBの行方
http://brog.keiten.net/?eid=1096627

スマートドラッグとPCBとメガソーラーとゴミ捨て場 2014年04月01日  デスペのはんなり日記
http://desuperado.seesaa.net/article/393401994.html

2014年04月05日
ケムトレイルの中身とワクチンの中身とチタンとトリチウム
http://desuperado.seesaa.net/article/393803537.html
(そーいや、チタン酸バリウムとゆー物質の存在を忘れてたw 人口物質で1000度くらいで燃焼させないと出来ないんだが、焼却炉・・・産廃利権・・・)

2014年04月08日
新年度に入りましたが、米国債どんだけ買うんすか?買ったんすか?キチガイ政府サマ。
http://desuperado.seesaa.net/article/394140085.html

2014年04月13日
民営化と円高とオバマ来日

http://desuperado.seesaa.net/article/394512379.html





これで今回、終わろうかと思ったが。。
ちょいと、こちらの話に戻る。




平成26年4月11日(金)定例閣議案件
http://www.kantei.go.jp/jp/kakugi/2014/kakugi-2014041101.html
エネルギー基本計画の変更について(決定)
(経済産業省)

フィジー国及びバヌアツ国駐箚特命全権大使花谷卓治に交付すべき信任状及び前任特命全権大使大嶋英一の解任状につき認証を仰ぐことについて(決定)
(外務省)


花谷 卓治http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E8%B0%B7%E5%8D%93%E6%B2%BB
花谷 卓治(はなたに たくじ)は、日本の外交官。参議院事務局国際部長を経て、駐フィジー兼バヌアツ特命全権大使。

人物・経歴[編集]
兵庫県出身。1977年(昭和52年)立命館大学法学部卒業。1979年(昭和54年)外務省に入省した。
1980年から1982年まで、アメリカに語学研修。外務省本省では中近東アフリカ局、北米局、国連局、経済局、総合外交政策局、経済協力局などに勤務。在外公館ではジュネーブ軍縮代表部、パリOECD代表部、ベルギー大使館、タンザニア大使館、ケニア大使館、ブラジル大使館に勤務した[1]。2008年(平成18年)9月から、アトランタ総領事。2012年(平成24年)3月、退任[2]。2012年4月参議院事務局国際部長、2014年4月1日フィジー国駐箚特命全権大使、兼バヌアツ国駐箚特命全権大使[3]。

同期[編集]

田良原政隆(駐エルサルバドル大使)
大江博(内閣官房内閣審議官、駐パキスタン大使)
横井裕(駐トルコ大使、中国公使)
伊原純一(外務省アジア大洋州局長、北米局長)
山口壮(民主党衆議院議員、外務副大臣、内閣府副大臣)
平松賢司(地球規模課題審議官)
宮川真喜雄(外務省中東アフリカ局長)
廣木重之(外務省儀典長、駐アフガニスタン大使)
小林弘裕(駐ボツワナ大使、ニューヨーク総領事、長野県警本部長)
堀江良一(駐スーダン大使)
西岡淳(駐ジブチ大使)
小川正史(駐ネパール大使)
西村篤子(駐ルクセンブルク大使)





はい。

この外務省の 花谷 卓治 の同期が興味深すぎる。

79年外務省入省の奴等。
見た事ある奴等(事件を追っかけてる中で)ばかりですが、久しぶりにヒドイですねっ!



田良原 政隆http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E8%89%AF%E5%8E%9F%E6%94%BF%E9%9A%86
田良原 政隆(たらはら まさたか、1953年(昭和28年)11月 - )は、日本の外交官。エディンバラ総領事を経て、エルサルバドル駐箚特命全権大使。

経歴・人物[編集]
兵庫県西宮市出身。灘中学校・高等学校を経て、1979年(昭和54年)京都大学法学部を卒業し、外務省に入省した。2000年から外務省大臣官房儀典官兼宮内庁式部官[1]。その後大阪府国際交流監、2005年日本国際博覧会協会儀典次長、国際民間航空機関日本政府代表部公使を経て、2009年からエディンバラ総領事、2013年からエルサルバドル駐箚特命全権大使[2][3]。


大江 博
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%8D%9A
大江 博(おおえ ひろし、1955年(昭和30年) - )は、日本の外交官。東京大学大学院総合文化研究科教授等を経て、2013年から内閣官房内閣審議官。

経歴・人物[編集]
大阪府出身。東京大学経済学部在学中に外務公務員採用上級試験に合格する。1979年(昭和54年)東大を卒業し、外務省に入省した。
1984年(昭和59年) 条約局条約課課長補佐
1990年(平成2年) 在大韓民国日本国大使館一等書記官(政務担当)
1992年(平成4年) 北米局地位協定課首席事務官
1993年(平成5年) アジア局中国課首席事務官
1994年(平成6年) 内閣法制局第3部参事官
1995年(平成7年) 在アメリカ合衆国日本国大使館参事官(経済担当)
1998年(平成10年) 総合外交政策局国連政策課長
2000年(平成12年)から2002年(平成14年) 国際法学会雑誌編集委員
2000年(平成12年) 4月 条約局条約課長
2002年(平成14年) 8月 在タイ日本国大使館公使(経済担当)
2003年(平成15年) 3月 東京大学大学院総合文化研究科教授
2005年(平成17年) 東京大学「人間の安全保障」プログラム教授
2007年(平成19年) 3月 外務省国際協力局参事官
2009年(平成21年) 1月 防衛省防衛政策局次長
2010年(平成22年) 東京大学公共政策大学院実務家教員(「国際法実務演習」担当)[1]
2011年(平成23年) 3月 駐パキスタン特命全権大使[2]
2013年(平成25年) 6月 内閣官房副長官補付内閣官房内閣審議官兼TPP政府対策本部首席交渉官代理



横井 裕
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E4%BA%95%E8%A3%95
横井 裕(よこい ゆたか、1955年(昭和30年)1月10日 - )は、日本の外交官。中国公使、外務報道官等を経て、2013年(平成25年)8月20日からトルコ駐箚特命全権大使。

経歴・人物[編集]
富山県出身。
1978年(昭和53年)10月、東京大学教養学部教養学科在学中に外務公務員採用上級試験に合格する。
1979年(昭和54年)東大を卒業し、外務省に入省した。
1993年(平成5年) 12月 駐米大使館一等書記官
1996年(平成8年) 1月 駐米大使館参事官
1996年(平成8年) 6月 駐中華人民共和国大使館参事官
1998年(平成10年) 9月 外務省経済協力局有償資金協力課長
2000年(平成12年) 8月 外務省アジア局中国課長
2001年(平成13年) 1月 外務省アジア大洋州局中国課長
2002年(平成14年) 4月 外務省経済協力局政策課長
2003年(平成15年) 8月 駐マレーシア公使
2006年(平成18年) 8月 駐米公使
2008年(平成20年) 6月 上海総領事
2010年(平成22年) 7月 駐中国公使
2010年(平成22年) 8月 駐中国公使(特命全権公使)
2011年(平成23年) 9月 外務省外務報道官
2013年(平成25年) 6月 外務省大臣官房
2013年(平成25年) 8月 駐トルコ特命全権大使[1][2]


伊原 純一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8E%9F%E7%B4%94%E4%B8%80
伊原 純一(いはら じゅんいち、1956年4月18日 - )は、日本の外交官。外務省アジア大洋州局局長。
在ロサンゼルス総領事、外務省北米局局長などを歴任した。

外務省では、フランス語研修を受け、その後は主に経済畑を歩む。
皇太子明仁親王のアフリカ訪問の際には、通訳として同行した[1]。1996年末に発生した在ペルー日本大使公邸占拠事件では、事務次官秘書官として事件に対応した。また、2004年の上海総領事館員自殺事件では、監察・査察担当の官房参事官として調査団の長を務め、自殺は中国当局の脅迫に由来するとの報告をまとめた。
2008年4月、在ロサンゼルス総領事に就任し、在ロサンゼルス総領事館に赴任した[3]。それ以来、3年4か月にわたって在ロサンゼルス総領事を務めたが、任期がこれだけ長期にわたるのは異例とされる[4]。その間、ロサンゼルスに駐在するイスラエルとメキシコの総領事とともに、3か国共同で「ボイル・ハイツ・プロジェクト」を起ち上げた[5]。また、日本食や日本酒、日本の映画やアニメーションなどといった日本文化の普及に尽力するとともに、カリフォルニア高速鉄道に対して日本の新幹線を売り込むなど日本企業の経済活動を支援した[5]。2010年にロサンゼルスで開かれた「アニメ・エキスポ」には自ら足を運び、オープニングセレモニーで登壇し挨拶も行っている[6]。2011年に帰国し、外務省の北米局にて局長に就任した。2013年には、アジア大洋州局の局長に就任した。
また、大阪大学の大学院においては、国際公共政策研究科の客員教授を務めた[7]。

1978年 - 外務公務員上級試験合格
1979年 - 京都大学法学部卒、外務省入省
1980年 - 在フランス日本国大使館勤務(フランス語研修)
1984年 - アジア局南東アジア第一課課長補佐
1986年 - 経済局国際機関第一課課長補佐
1988年 - 北米局北米第一課課長補佐
1989年 - 北米局北米第一課首席事務官

1992年 - 在フィリピン大使館一等書記官
1994年 - 大臣官房人事課首席事務官
1995年 - 外務事務次官秘書官
1997年 - アジア局南東アジア第一課長
1999年 - 経済局国際機関第一課長
2002年 - 大臣官房会計課長
2004年 - 官房参事官(監察・査察担当)
2004年7月 - 在アメリカ合衆国日本国大使館公使
2006年9月 - 外務省大臣官房長補佐
2006年12月 - アジア大洋州局参事官(南部アジア部担当)
2008年 - ロサンゼルス総領事
2011年 - 北米局長
2013年 - アジア大洋州局長



山口 壯
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%A3%AE
山口 壯(やまぐち つよし、1954年10月3日- )は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。
外務副大臣(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、内閣府副大臣(菅第2次改造内閣)、民主党政策調査会筆頭副会長等を務めた。


1980年より在外研修として在アメリカ合衆国日本国大使館に勤務するかたわら、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院で学び、修士号を取得。1989年には同大学で博士号を取得した。
外務省経済協力局政策課や、防衛庁防衛局運用課を経て、1986年外務省経済局国際経済第一課課長補佐、1987年外務省情報調査局安全保障政策室首席事務官、1989年在中華人民共和国日本大使館一等書記官、1991年在パキスタン日本大使館一等書記官、1993年在イギリス日本大使館一等書記官、1995年外務省総合外交政策局国際科学協力室長。
新進党幹事長であった小沢一郎の誘いを受け、1995年に外務省を退官。翌1996年、新進党公認で兵庫12区から出馬したが、通商産業大臣や経済企画庁長官を歴任した河本敏夫の子息で、自由民主党公認の河本三郎に敗れ、落選。新進党解党後、2000年の第42回衆議院議員総選挙に再び兵庫12区から無所属で出馬し、前回敗れた河本を下して初当選。その後無所属の会に入党し、2003年の第43回衆議院議員総選挙には同党公認で出馬するが、河本に敗れた。
2005年の第44回衆議院議員総選挙には民主党公認で出馬するも河本に敗れた。しかし、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、2年ぶりに返り咲く。2006年、民主党代表(当時)・小沢一郎の下、次の内閣の外務大臣に就任。2009年の第45回衆議院議員総選挙では兵庫12区で河本を破り、3選。
2011年3月、「日本のグランド・デザイン」研究会(玄葉光一郎グループ)を発足させ、代表世話人に就任した。同年7月、松本龍の辞任による内閣府副大臣・平野達男の東日本大震災復興対策担当大臣就任に伴い、後任の内閣府副大臣(国家戦略担当)に任命される。同年9月発足の野田内閣では外務副大臣に任命され、野田第2次改造内閣まで務める。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では民主党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、兵庫12区で河本三郎の後継候補である自民党新人の岡崎晃を破り、4選。12月28日、民主党のネクスト外務大臣に就任した。
2013年12月5日、民主党に離党届を提出。その後開いた記者会見では、民主党離党の理由について「民主党の中で一生懸命やってきたが限界を感じた」と説明し、当面は無所属で活動する意向を表明した[1]。同年12月19日、無所属のまま自民党の二階派に入会[2]。山口の二階派入りを受け、民主党は2014年1月31日の党倫理委員会において、山口の行動は党倫理規定における処分対象の一つ「他政党を利する行為」に該当するため、除籍処分の妥当性を認める答申を提出し、2月4日に開かれた常任幹事会において民主党執行部は山口の離党届を受理せず、除籍する方針を正式に決定した[3]。
政策・主張[編集]
2006年10月13日の衆議院本会議において、当時の首相・安倍晋三が掲げたキャッチフレーズ「美しい国」について、「うつくしいくに、逆から読むと、にくいしくつう(美しい国は憎いし苦痛)」であり、「一見立派な政策構想が現実には格差を広げ、国民の負担は増える一方」と批判した[4]。
2009年9月11日、民主党の次の内閣防衛副大臣の立場で、自民党政権が進めてきたミサイル防衛について「役に立たない、撃ち落せる確率は100分の1か2ぐらいだ」、「爆撃機を対空防衛で落とせる確率は20〜30%と言われている」など、現在の軍備に疑問を呈した[5]。
北朝鮮の外交姿勢については「拉致問題で完全に北朝鮮が認めれば日本の援助が始まり、北朝鮮の民主的な傾向が強くなる。時間はかかるがそれしかない」との考えを示した[6]。
2009年5月15日、北朝鮮によるミサイル発射実験が行われると、「6者協議が機能していない。完全に麻生外交は破綻している」と麻生内閣を非難した[7]。
2010年10月20日、BSフジLIVE プライムニュースに出演した際、司会者から尖閣諸島中国漁船衝突事件で中国が日本に配慮したことが一度でもあるのかと訊かれ、「海保に拘束された中国の漁船員が日中関係を配慮し、海保側から受けた乱暴な取り扱いについて口をつぐんでいる」と発言した。
2011年9月15日、外務省での記者会見において、韓国政府が提起した慰安婦問題に関する新たな政府間協議の設置について「(日韓基本条約を締結して)法的には解決済みだ」として、政府間協議には応じない考えを示しながらも「どんな状況があるかよく話し合っていけばいい」とも述べ、韓国政府との対話は続ける意向を示した[8]。
日本国憲法の改正、集団的自衛権の行使を禁じる内閣法制局の憲法解釈の見直しに賛成[9]。

人物[編集]
好きな言葉は「道なきところに道をひらき、不可能を可能にする」。
尊敬する人物は、外務省出身の大先輩である元首相の吉田茂。

親族・親戚[編集]
妻の曽祖父
森国造(元衆議院議員)
妻の祖父
中村庸一郎(元衆議院議員)
森武臣(元富国生命社長)
妻の叔父
中村正三郎(元衆議院議員・法務大臣)


平松 賢司
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%9D%BE%E8%B3%A2%E5%8F%B8
平松 賢司(ひらまつ けんじ)は、日本の外交官。2011年(平成23年)から2012年(平成24年)まで、外務省地球規模課題審議官、2012年から外務省総合外交政策局長

経歴・人物[編集]
1979年(昭和54年)外務省に入省した。外務省南東アジア二課長、総合外交政策局安全保障政策課長、外務大臣秘書官、アジア大洋州局北東アジア課長、駐米公使、駐英公使、経済局審議官を経て、2011年(平成23年)1月から外務省地球規模課題審議官、2012年から外務省総合外交政策局長[1]。

地球規模課題審議官 JICA  ヤッホー検索
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%9C%B0%E7%90%83%E8%A6%8F%E6%A8%A1%E8%AA%B2%E9%A1%8C%E5%AF%A9%E8%AD%B0%E5%AE%98++jica&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=




宮川 眞喜雄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B7%9D%E7%9C%9F%E5%96%9C%E9%9B%84
宮川 眞喜雄(宮川 真喜雄、みやがわ まきお、1951年(昭和26年)1月6日 - )は、日本の外交官。外務省中東アフリカ局長等を経て、2014年(平成26年)からマレーシア駐箚特命全権大使。

経歴・人物[編集]
京都出身。1974年(昭和49年)東京大学工学部航空学科宇宙コースを卒業した。同科研究生を経て、1976年(昭和51年)運輸省に入省した。1979年(昭和54年)外務省に移籍した。1980年(昭和55年)から1982年(昭和57年)までオックスフォード大学国際政治学科に留学した。1989年(平成元年)6月には、「経済制裁 −米国の対イラン制裁に関する理論と実践−」の学位論文で、オックスフォード大学で国際政治学博士号を取得している。 また、2002年(平成14年)には、政策研究大学院大学客員教授、2004年(平成16年)には東京大学大学院教授をそれぞれ兼任している。

1976年(昭和51年) 運輸省入省。海上保安庁総務部政務課法令班
1979年(昭和54年) 外務省へ移籍。原子力課事務官
1982年(昭和57年) 駐英大使館政務部二等書記官
1984年(昭和59年) 外務省条約局国際機関第二課
1986年(昭和61年) 外務大臣官房総務課法令班長
1987年(昭和62年) 小沢一郎内閣官房副長官秘書官
1989年(平成元年) 外務省北米局北米第二課首席事務官
1991年(平成3年) 外務省欧亜局ソヴィエト連邦課首席事務官
1993年(平成5年) 駐マレーシア大使館政務参事官
1996年(平成8年) ジュネーブ国際機関政府代表部参事官
1999年(平成11年) 外務省経済局開発途上地域課課長
2002年(平成14年) 外務省アジア大洋州局地域政策課長
2004年(平成16年) 財団法人日本国際問題研究所所長
2005年(平成17年) 財団法人日本国際問題研究所所主管
2007年(平成19年) ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使兼ジュネーブ総領事
2009年(平成21年) 外務省大臣官房審議官兼国際協力局(気候変動交渉担当)
2010年(平成22年) 外務省総合外交政策局軍縮不拡散科学部長(大使)
2012年(平成24年) 外務省中東アフリカ局長兼アフガニスタン・パキスタン担当特別代表(大使)兼日米原子力担当大使
2014年(平成26年) 駐マレーシア特命全権大使[1]



廣木 重之
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%A3%E6%9C%A8%E9%87%8D%E4%B9%8B
廣木 重之(ひろき しげゆき、広木 重之、1955年5月22日 -)は、日本の外交官。駐アフガニスタン特命全権大使などを経て、外務省儀典長。

人物[編集]
東京都出身。 1979年に一橋大学法学部を卒業し、外務省入省。1980年から1982年までオックスフォード大学留学。オックスフォード大学留学同期に奥克彦(イラク日本人外交官射殺事件で殉職)がいる。
2009年から駐アフガニスタン特命全権大使。2010年には43億5500万円の無償資金協力「アフガニスタン平和・再統合プログラム」の書簡を交換[1]。資金協力によって建設された1校目の高校の完成記念式典にワルダク教育大臣などと出席。ハーミド・カルザイ大統領からは日本の支援に対する感謝の表明を受けた[2]。
2011年からニューヨーク総領事。竹島領有権や歴史認識をめぐる日韓問題や、尖閣諸島国有化で激化した中国との尖閣諸島問題などに関し、中韓が自国の主張をニューヨーク・タイムズ誌などに掲載するのに対応し、メディアの分析などを行った。活動を受けニューズウィーク誌に「中国は1970年まで尖閣諸島の主権を一度も主張したことがなかった。」とする編集長のコラムが掲載された[3]。

経歴[編集]
1979年 - 一橋大学法学部卒業、外務省入省
1982年 - オックスフォード大学卒業
1984年 - 外務省情報調査局企画課安全保障政策室課長補佐
1987年 - 外務省アジア局北東アジア課課長補佐
1989年 - 外務省経済局開発途上地域課首席事務官
1991年 - 外務省在ニューヨーク日本国総領事館領事
1994年 - 外務大臣官房会計課首席事務官
1996年 - 外務省欧亜局西欧第二課長
1998年 - 外務省大臣官房審議官兼内閣官房中央省庁等改革推進本部事務局内閣審議官
2000年 - 外務省九州・沖縄サミット準備事務局長補
2000年 - 外務省経済協力局技術協力課長
2001年 - 外務省大臣官房領事移住部政策課長
2002年 - 外務省在イギリス日本国大使館公使
2005年 - 外務省大臣官房参事官(国会担当)
2007年 - 外務省国際協力局参事官兼中東アフリカ局参事官
2008年 - 外務省大臣官房審議官(総合外交政策局担当)
2009年 - 駐アフガニスタン特命全権大使
2011年 - ニューヨーク総領事・大使

2013年 - 外務省儀典長・大使




小林 弘裕
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E5%BC%98%E8%A3%95
小林 弘裕(こばやし ひろやす、1955年4月27日 - )は日本の外交官。イラク戦争下での外務省サマーワ事務所長や、ドバイ総領事、駐ボツワナ特命全権大使などを務める。

人物[編集]
東京都出身。1979年に一橋大学経済学部を卒業し、外務省入省。アラビア語研修を受けたアラビスト。紛争地を多く担当し、外務省中近東アフリカ局中近東第二課長、中東アフリカ局中東第一課長・第二課長等を歴任。2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件後のアフガニスタン紛争問題などに対処し、2002年1月に東京で行われたアフガニスタン復興支援国際会議も担当。
2004年から自衛隊イラク派遣で派遣されていた陸上自衛隊サマーワ宿営地内にあるサマーワ外務省連絡事務所長を務め、自衛隊と連携しイラク戦争下でムサンナー県へのインフラ整備を中心とした人道復興支援にあたった[1]。宿営地に打ち込まれた迫撃砲やロケット砲などの調査も行った[2]。サマーワ事務所での部下に石川博崇(公明党所属参議院議員)などがいた。
リーマン・ショック後ドバイ・ショック直前にドバイ総領事を務め、その後警察庁長官官房付を経て、2009年8月から長野県警察本部長。同年9月には長野県警察に子ども・女性安全対策室を新設し、子供や女性を狙った凶悪犯罪・性犯罪への対応を強化[3]。

経歴[編集]
1955年4月 東京都出身
1979年3月 一橋大学経済学部卒業
1979年4月 外務省入省
1980年 カイロで研修(アラビア語研修)
1982年 アメリカ合衆国で中東研究
1983年 在エジプト日本大使館勤務

1985年4月 外務省経済局国際経済第二課課長補佐
1988年7月 外務大臣官房在外公館課課長補佐
1989年7月 総理府行政管理局副管理官
1991年8月 外務省経済協力局開発協力課首席事務官
1993年3月 外務省経済協力局政策課首席事務官
1995年5月 国際連合日本政府代表部参事官
1997年7月 在パキスタン日本大使館参事官
1999年4月 外務省中近東アフリカ局中近東第二課長
2001年1月 外務省中東アフリカ局中東第二課長
2001年4月 外務省中東アフリカ局中東第一課長
2002年4月 国際協力銀行国際金融第二部次長
2003年1月 在エジプト日本大使館公使
2004年4月 サマーワ外務省連絡事務所長 併任
2004年7月 在クウェート日本大使館公使 兼 在イラク日本大使館公使 サマーワ外務省連絡事務所長
2006年6月 ドバイ総領事(北部首長国)
2009年7月 警察庁長官官房付
2009年8月5日 長野県警察本部長(警視監)

2011年9月 駐ボツワナ特命全権大使 兼 南部アフリカ開発共同体日本政府代表



あ〜あ。どんな流れで長野県警なんだよ(嘲)
どーでもイイけど、右近謙一の死と時期ピタリ(嘲)

http://desuperado.seesaa.net/article/393803537.html

●contemporary navigation
○村井仁長野県知事秘書殺害事件
http://ccplus.exblog.jp/9706152
○国内初のプルサーマル発電とトヨタの F-1撤退を繋ぐ線
http://ccplus.exblog.jp/11519382/

2013年12月07日
秘密保護と原発利権 自衛隊と警察 国家核安全保障局
http://desuperado.seesaa.net/article/382072811.html
2013年12月10日
自衛隊の稼動域 と 人権問題 と 収容所
http://desuperado.seesaa.net/article/382309444.html




堀江 良一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E6%B1%9F%E8%89%AF%E4%B8%80
堀江 良一(ほりえ りょういち)は、日本の外交官。

経歴・人物[編集]
東京都出身。1979年(昭和54年)創価大学を卒業し、外務省に入省した。法務省官房審議官。2012年(平成24年)外務大臣官房付を経て、同年4月11日からスーダン駐箚特命全権大使[1]。

西岡 淳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B2%A1%E6%B7%B3
西岡 淳(にしおか あつし、1956年(昭和31年)-)は、日本の外交官。駐ジブチ大使。

経歴[編集]
1956年(昭和31年) 福岡県生まれ[1]。
1971年(昭和46年) 逗子市立逗子中学校卒業[2]。
1974年(昭和49年) 神奈川県立横須賀高等学校卒業[2]。
1978年(昭和53年) 外務公務員上級試験合格[2]。
1979年(昭和54年) 東京外国語大学外国語学部仏語学科卒業し、外務省入省[2]。
1982年(昭和57年) 在アルジェリア大使館三等書記官[2]。
1986年(昭和61年) フランス語の通訳担当官として、外務大臣、内閣総理大臣等の通訳を務める[2]。

1989年(昭和64年) 経済協力局開発協力課首席事務官[2]。
1991年(平成3年) OECD代表部一等書記官[2]。
1994年(平成6年) 外務審議官企画官[2]。
1995年(平成7年) 海外経済協力基金業務第一部業務第二課長[2]。
1997年(平成9年) 宮内庁御用掛として、天皇陛下の仏語通訳を務める[2]。
1999年(平成11年) 在インド大使館参事官[2]。
2001年(平成13年) 在フランス大使館参事官[2]。
2003年(平成15年) 内閣府国際平和協力本部事務局参事官[2]。
2004年(平成16年) 日本学生支援機構留学生事業部長[2]。
2007年(平成19年) モントリオール総領事[1]。
2008年(平成20年) 外務研修所副所長。
2010年(平成22年)8月 石油天然ガス・金属鉱物資源機構特命参与[3]。
2012年(平成24年) ジブチ大使[3]。



はは。フランス軍と自衛隊の提携 か。。



小川 正史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E6%AD%A3%E5%8F%B2
小川 正史(おがわ まさし)は、日本の外交官。

人物・経歴[編集]
山梨県出身。1979年(昭和54年)東京大学文学部を卒業し、外務省に入省した。中国モンゴル課日中経済室長、人事課企画官、2011年(平成23年)9月、人事課調査官を経て、2013年(平成25年)9月11日から、ネパール駐箚特命全権大使[1]。




西村 篤子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E7%AF%A4%E5%AD%90
西村 篤子(にしむら あつこ)は、日本の外交官、政治学者、博士(国際公共政策)。駐ベルギー公使、東北大学大学院教授などを経て、駐ルクセンブルク特命全権大使

人物[編集]
東京都出身。1976年に東京大学教養学部卒業。1979年外務省入省。スタンフォード大学大学院修士課程修了。
フランス国立行政学院、外務省条約局法規課首席事務官、外務省総合外交政策局軍備管理軍縮課兵器関連物資等不拡散室長、外務省中東アフリカ局アフリカ一課長、国際連合日本政府代表部公使、在ベルギー日本国大使館公使を経て、2004年東北大学大学院法学研究科教授・東北大学公共政策大学院教授。2005年大阪大学に論文「アフリカにおける国民国家形成とエスニック・ナショナリズム : ルワンダとタンザニアの事例から」を提出し、博士(国際公共政策)の学位を修得[1]。
その後、独立行政法人国際交流基金統括役を経て、2012年3月独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構特命参与[2][3]。2014年4月1日ルクセンブルク国駐箚特命全権大使[4]。

著作[編集]
「最後の成長市場アフリカ」『外交フォーラム』11(6) 1998 - 06
「ルワンダの民族紛争とエスニシティ」『国際公共政策研究』6(2) (通号 10) 2002 - 03
「ウジャマー社会主義とニエレレ--タンザニアのネイション形成」『国際公共政策研究』8(1) (通号 13) 2003 - 10
「ルワンダにおけるエスニシティの政治化--1990年から1994年を中心に」『国際公共政策研究』9(2) (通号 16) 2005 - 03




はい。
とりあえず、wikiだけの簡単なメモですが。

地震のあったソロモン諸島やら、原発輸出&色々賑やかなトルコとか。
行方不明ボーイングのマレーシアやら。
自衛隊海外基地のジプチやら。
で、最後にルクセンブルクでオチついてんだけどさ。


世界銀行と気象変動と資源と軍事。


経歴見れば、どいつもこいつも戦火中の場所にその時期に飛んでますね。



・・・・・。

岡本アソシエイツだろ、これ。

外務省=岡本アソシエイツ=NSC


岡本の経歴をもう一度。

岡本行夫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E8%A1%8C%E5%A4%AB

第1次橋本内閣、第2次橋本内閣で内閣総理大臣補佐官、小渕内閣で科学技術庁参与、第1次小泉内閣で内閣官房参与、第2次小泉内閣で内閣総理大臣補佐官、第3次小泉内閣で内閣総理大臣外交顧問、福田康夫内閣で外交政策勉強会メンバーを務める等、政府要職を数多く歴任している。特に橋本内閣においては、沖縄問題担当として60回以上に渡り沖縄入りして現地との信頼関係を築きながら、普天間基地の返還・代替地移設問題や沖縄振興策策定の最前線で活動したとされる



略歴
1964年3月 神奈川県立湘南高等学校卒業
1968年3月 一橋大学経済学部卒業(板垣与一ゼミ)
1968年4月 外務省入省
1969年 英語研修(米国スワースモア大学)
1971年 経済協力開発機構日本政府代表部
1973年 経済局国際経済課事務官
1975年 経済局国際機関第一課事務官(貿易交渉担当)
1978年 北米局北米第一課首席事務官
1981年 在エジプト大使館一等書記官(中東和平担当)
1983年 在アメリカ大使館参事官(政務担当)
1985年8月 北米局安全保障課長
1988年7月 北米局北米第一課長
1991年1月 退官
同年 岡本アソシエイツ設立、同代表取締役就任
1991年 - 国際交流基金参与
1996年11月 - 1998年3月10日 内閣総理大臣補佐官(非常勤・沖縄担当)
1998年7月 - 2000年6月 科学技術庁参与
2000年3月30日 - 2008年3月26日 アサヒビール取締役
2000年6月 三菱マテリアル取締役
2000年7月 パシフィカ・ネオ・ベンチャーズ・エル・エル・シー設立、同共同代表就任
2001年9月 - 2003年 内閣官房参与
2002年9月 立命館大学客員教授(国際社会で活躍する人材養成特別プログラム)
2003年4月 - 2004年4月 内閣総理大臣補佐官(非常勤・イラク担当)
2004年4月 内閣総理大臣外交顧問
2007年6月 - 三菱自動車工業株式会社社外監査役
2008年6月 - 日本郵船株式会社取締役
2011年7月 - 一般社団法人東北漁業再開支援基金希望の烽火設立、同代表理事
2012年2月 - 復興庁復興推進委員会委員
2012年10月 - マサチューセッツ工科大学国際研究センター シニアフェロー

この他に、アサヒビールアドバイザリーボードメンバー(1998年 - 2000年)、日本郵船アドバイザリーボードメンバー(2006年 - 2008年)、NTTドコモアドバイザリーボードメンバー、東芝経営諮問会議メンバー、小松製作所インターナショナル・アドバイザリー・ボード社外アドバイザー、東海東京調査センター理事長、上総モナークカントリークラブ理事、Oakキャピタル株式会社顧問、外交政策勉強会(福田康夫首相の私的懇談会)メンバー(2007年12月 - )、内閣府沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会委員、電通総研客員研究員、富士通総研特命顧問、小僧com株式会社アドバイザリーボードメンバー(2008年 - )、一般財団法人日本フラッグフットボール協会代表理事、財団法人東京財団評議員、財団法人日本教育科学研究所理事、福島県しゃくなげ大使等も務める。



はい。

で、79年外務省入省メンバーを眺めて下さい。
北米局とエジプト辺りで眺めるのが、まずは、分かりやすいかな。

ややこしい事書かないで、石油ヤローでいいんですが。





http://desuperado.seesaa.net/article/379887718.html
で、海外の災害なら政府からの多大な見舞金がIMFを通じて流れる。
その後は、外務省管轄の公共工事ODA。
外務省が力を持ってるのは、コレなんだが、
単純に軍産複合体とビジネスする営業マンだから。
ニホン版NSCの中身も割れてるが、外務省がまずは力を持つことになる。
だって、営業無いと仕事入らないモンねって事で。


ここ最近の毎回台風が発生する場所は、ソロモン諸島。
地震がよく発生している地域ですね。

ソロモン諸島での人工地震は、沢山の方が追っかけてますが、
いつもお世話になってるvelvetさんの気象操作や人工地震カテゴリをどーぞ。

●velvetmorning blog
○気象操作
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/cat/kishousousa/
○人工地震
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/cat/jinkoujisin/





○岡本アソシエイツ レイシオンとベクテル イラク日本人外交官射殺事件
http://desuperado.seesaa.net/article/353383791.html

○山田洋行事件 朝鮮総連 樹脂 カルトのショバ争い
http://desuperado.seesaa.net/article/353544774.html?1364793531

○イラク戦争もう一度振り返る シュルツとベクテル チェイニーとハリバートン CIAとブラウン・ルート
http://desuperado.seesaa.net/article/353882328.html

○改憲と金融封鎖が近づく○○前
http://desuperado.seesaa.net/article/355247822.html

○核による気象影響 と アルジェリアテロの背景 モサドの二枚舌
http://desuperado.seesaa.net/article/354449612.html

2013年04月06日
表層的なラベリング と 奥参事官が立っていたその交差点・・・そして、その前にも後にも繋がっていく線と
http://desuperado.seesaa.net/article/354099257.html

○ラムズフェルドの経歴とか製薬とかキタチョープロレスとか
http://desuperado.seesaa.net/article/354982284.html




さて、飯島が動き出してからキタチョーの原子炉で不具合発生ネwsがロシアの声から届いていたよね。

韓国の477人乗り旅客船沈没が今、流れてるね。。。

posted by デスペラード at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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