2013年04月29日

バイオ兵器「エイズ」を巡ってエトセトラ その4  〜遺伝子学とRNAウイルスとグラム陰性菌〜

タイトルを「バイオ兵器」とうたってますが、
バイオとケミカルの合わせ技だろーから、BC兵器が正解。
で、X線などの放射線(核事業)技術も関連すると思われるので、
ABC兵器かな、と。

まぁ、タイトルバイオのまんまで逝きますがw


○バイオ兵器「エイズ」を巡ってエトセトラ 〜ファイザーとGEヘルスケア 多国籍製薬メーカー〜
http://desuperado.seesaa.net/article/356028523.html?1366283026

○バイオ兵器「エイズ」を巡ってエトセトラ その2 〜脳炎 ギランバレー インフルエンザ〜
http://desuperado.seesaa.net/article/356426124.html?1366485401

○バイオ兵器「エイズ」を巡ってエトセトラ その3 〜コッホの原則の破綻〜
http://desuperado.seesaa.net/article/356879794.html



続きです。



前回に適当に巻き散らかして終わったからなw
入り口どーすっべw

つーか、麻生がCSISで水道の民営化とか抜かした。
目に見えるモノもすげー鬼畜スピードでござる。


●麻生太郎財務大臣兼副総理が、CSISの講演で、『日本の水道を全て民営化する』と発言 ― 2013/04/24 velvetmorning blog
http://t.co/tvfRtP9XM9

●僕たちはなぜ江戸時代の人たちより 働かなければならないのだろう? 樋口新一【職業:Truthseeker】/ウェブリブログ

http://t.co/poOjlAwNvS



んで、こんなところで、今頃、何書いてるんだ?アホか!
まぁね、そーだよねw


「敵を知る事、己を知る事」
沢山の人が使う言葉だが、
僕にとっては、戦中を軍の下士官として生き抜ける事が出来た人が、僕の目の前で語ってくれた言葉。


この話(エイズ)の先は、これから見えてくる、既に起きているバイオハザード、ABC兵器 と、
それらに対抗するもの、命をつないでいくもの。
「独立」の為の力であり、刀の話になる。
まぁ、エイズってゆーより、破綻してる医療怪ですけどね。

分かりやすくはないし、穴だらけで、マチガイばっかで、すったもんだだけど、
あせらずに、自分に出せる最高のスピードで。

時間なんかあってないもんだが、
まぁ ボチボチと。






血清療法が生まれたのが、
1890年12月4日に北里柴三郎とエミール・ベーリング。
どちらも、コッホの弟子。

血液型の分類が1900、1901年。
輸血の技術が1914年。
1937年に世界で最初の血液銀行が米国のシカゴに設立
フィブリノーゲンっつーと、C型肝炎を思い出すな。

1897年のペスト。
そこから1926年の百日咳までワクチン製造には、間がある

ペストは、「腸内細菌科」と「白血球内で生息(活動)する」
培養出来る細菌は、ごくごく一部。
その中で、大腸菌などの腸内細菌系は、繁殖が速い。

ネコインフルエンザは、インフルエンザウイルス感染による疾病ではないため、猫インフルエンザは誤称であるとみなされる。猫インフルエンザとはネコにおけるインフルエンザ様の呼吸器疾患を示す用語 とwikiにある。

ネコの病気を追うとそんな記述がよく目に入る。
ネコには、フィルターがかかっているように感じる。

破綻しているコッホの原則を柱としているのが、細菌学で今の医薬怪。
子宮頸がんなんかは、必ずしもコッホの原則が当てはまらない と ムチャクチャな言い訳になってきていますがw

話を戻して、ネコインフルの中の猫ケンネルコフこと、気管支敗血症菌。
それは、人がかかる百日咳と近い関係にあたる。

気管支敗血症菌は、ボルデテラ属に属する細菌。


なんですが、北里の破傷風とエミール・ベーリングのジフテリア。
血清療法とは、動物に菌を打ち込み抗体を作らせ、血を抜き、その血清をワクチンとするもの。
つーか、エイズの中身の一つだわね。
ので、もう少し。



血清
http://www.med.kyushu-u.ac.jp/cclm/kensa/html/iryo_tadasi6-1.html
血液が凝固して上澄みにできる淡黄色の液体成分のこと。血液の液体成分(血漿)そのものではないが、それに近いものである。これを医療に利用するものに抗血清(血清療法)がある


http://www.med.kyushu-u.ac.jp/cclm/kensa/html/iryo_tadasi6-1.html
6:血清と血漿 − その1

血液(全血)を凝固させ血小板や凝固因子を除いたものが血清 (serum) です。血清成分は凝固の諸因子が除かれており、血小板の細胞成分や代謝物が増加しています。一方、抗凝固剤入りの容器に採血した血液を遠心分離して細胞成分(赤血球、白血球、血小板)を除いたものが血漿 (plasma) です。



抗凝固剤っつーのに、クエン酸ですYO

↓図入り

血漿と血清の違いとは・・・?
http://blogs.yahoo.co.jp/fightingman19/18645567.html
要するに2つの違うところはフィブリノーゲンがあるかないか、
言い方を変えれば、血清=血漿−フィブリノーゲンということになります。


だから生体内の血管内にあるのは血漿の方ということになります。



↓後で世話になるかもしれんから置いておこう。

多発性骨髄腫 Multiple Myeloma(MM)
「血液」の基礎知識
http://web1.kcn.jp/ikyu3/myeloma/basic/blood.htm#BM07





ジフテリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%95%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%A2
ジフテリア (diphtheria) は、ジフテリア菌 ( Corynebacterium diphtheriae ) を病原体とするジフテリア毒素によって起こる上気道の粘膜感染症。


ジフテリア毒素に対するウマ由来の血清および、抗生物質としてペニシリン、エリスロマイシンなどが用いられる。

予防法は、ジフテリア毒素をホルマリン処理して無毒化したトキソイド(ワクチン)の接種。日本では三種混合ワクチン(DPTワクチン)、二種混合ワクチン(DTワクチン)に含まれている。


ジフテリア予防接種時の事故、医原病 [編集]
1948年、京都・島根でのジフテリア予防接種の時に無毒化が不十分であったワクチンの接種によるジフテリア毒素により大規模な医療事故が起き、横隔膜麻痺、咽頭麻痺、心不全等の中毒症状が現れ、死亡者85名という結果になった。これは、世界史上最大の予防接種事故である(被害者は1000人近く)



●空庵つれづれ 2008-07-27
○京都・島根ジフテリア予防接種禍事件

http://ameblo.jp/kara-an/entry-10120541635.html

事件が起こったのは、1948年、ちょうど60年前である。
同年7月「予防接種法」が制定施行され、予防接種を受けることは「国民の義務」

とされた(なんだか最近の「健康増進法」に似てるのがこわい・・・)。


○ジフテリア予防接種禍事件の既視感(1)
http://ameblo.jp/kara-an/entry-10120743328.html

まず、この事件の根本原因。

ジフテリアの毒性が残ったままの欠陥ワクチンが接種に使用されてしまったのには、
二つの原因がある。




1)まずは、そういう欠陥ワクチンを作った製薬メーカー(大阪日赤医薬学研究所)による

 ワクチン製造過程におけるミス。

2)次に、それを検査した国家検定を、この欠陥ワクチンが無事通過してしまったということ

 である。

仮に1)によって欠陥ワクチンが製造されたとしても、2)の国家検定さえきちんとしていれば、

それが実際に使用され、被害を生むことはあり得なかったわけだが、




この検査自体が、きわめて杜撰なものであったことが明らかになっている。

ーーーーーーーーーーー

つまり、明らかな「手抜き検査」だったのである!! 

ーーーーーーーーーーー

実は、1948年当時の政策決定権はGHQにあり、
予防接種の推進はGHQの指示だったようだ。


GHQは早くから、(とりわけ日本に駐留する米軍兵士の伝染病感染への恐れから)

伝染病の予防接種を指示していたようだが、接種薬製造に必要な技術などの立ち遅れ

などからその指示に従うのをずっと引き延ばしてきた厚生省が、もう引き延ばせない

とばかり、不十分な技術力や体制のままで予防接種実施にGOを出したことが、

間接的に製造メーカーによる不良ワクチンの製造を誘ったことになる。


さらに言うと、少なくとも医学的には、
それほどまでにジフテリアの予防接種を急ぐ必要性はなかったらしい。。。

(統計のグラフを見ると、戦時に猛威をふるったジフテリアは、終戦とともに激減しており、

予防接種開始時(1948年)にはすでに流行は沈静化していたことがわかる)



○ジフテリア予防接種禍事件の既視感(2)
http://ameblo.jp/kara-an/entry-10121405747.html


全国にさきがけて、ジフテリア予防接種を実施した京都。


京都市の実施要項には、「本接種は予防接種法第三条による保護者の義務とする」という

一文があり、京都市長名の通達文の中には「第二十六条 左の各号の一に該当する者

(注・・・子どもに予防接種を受けさせなかった保護者)はこれを三千円以下の罰金とする」
とあった。


一般市民の間には、この「三千円以下」が「三千円」と伝わったようで、

「三千円の罰金をとられるのを恐れて、わが子を予防注射に

連れて行った人」も少なくなかったであろう。。。

(当時の三千円というと、今の10万〜15万円に相当する!)

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島根県側の記録によれば、11月12日に厚生省からの電報などは届いていないばかりか、
厚生省からの電報が最初に届いたのは17日である!
しかもその内容は、「オオサカニッセキ ロット8ノ シヨウノゾク イサイフミ」
ロット8というのは、京都で大きな被害を出したロット1013号のことなので、

どう読んでもこれは「ロット1013号以外のものを使用して、接種を続けろ」としか

読めない!

実は、島根で最初の接種が行われた11日の2日前(11月9日)に、

京都微生物研究所(島根に予防注射液を仲介した組織)から電報で、

「ジフテリア チュウシャ ミアワセ (注射 見合わせ)」というのが入っており、

島根県では9日の段階でいったん予防注射液の配布を停止していたという。

にもかかわらず、2日後の11日には同じ京都微研から、

「ジフテリア1013ゴウ キョウトデシヨウノウチ フクサヨウ ツヨキモノアリ」という

電報が入る。

これを島根県側は、「ロット1013号以外は安全」と解して、1013号以外の注射液

を使って接種を開始したようだ。




皮肉にも、京都事件で最初の死者が出た11月13日から、島根では本格的に接種

が実施されているのである!

しかも・・・・・

島根県側の調査報告を見ると、

11月13日に接種が行われた八束郡御津村というところでは、接種人員54名に

対して、54名(100%)に異常な症状が出ており、

ここで使われた注射液は1012号のものだったのである。
(京都で被害を出した1013号以外のロットでも実際に被害が出たわけであるから、

近辺の数字のロットはすべて怪しいと考えるのが当たり前である)



どう考えても、この段階で、(急ぐ必要もまったくない)予防接種を中止しない理由
は一つもないのであるが、

それにもかかわらず接種は続行され、10日後の11月23日に至るまで(!)、

接種が中止されることはなかった。。。

いくら情報伝達のスピードが遅い時代とは言え、医師たちはすぐに注射液に何か

重大な問題があるということに気づいて不安になり、保健所や県庁の係員に何回

も問い合わせた医師もいたようだが、「接種可能」との回答しか返ってこなかった

という。




後の証言によると、医師の中には、不安におびえながら、自主的に(?)接種量を

減らしたりして接種を行った人もいるようだ。

しかも、

この島根事件では、このジフテリア事件の容疑で

医師4名が逮捕され、書類送検されているのだ!
(不起訴にはなったものの、逮捕されたことは新聞にデカデカと載った)





○ジフテリア予防接種禍事件の既視感(3)
http://ameblo.jp/kara-an/entry-10122143640.html

厚生省が自らの失態については知らんぷりをして、製造メーカーだけに罪をおっ被せ、
メーカー(大阪日赤医薬学研究所)を刑事告発したという話は先に書いたが、

この際、実際には、メーカー側の人物3人(所長・副所長・製造主任)だけでなく、

検査官Yも一緒に告発されている。

しかし、この検査官、所属は一応大阪府の職員(技官)であるものの、厚生省からの出向技官

であるから、実際には厚生省側の人間、つまり身内である。

誰が考えてもわかるように、

身内を告発したのは、一種のポーズであって、ハナから罪を問う気などないのだ。

事実、Y検査官の(タテマエ上の?)所属先である大阪府職員50人くらいが署名・捺印

した「嘆願書」などが出て(きちんと裁判記録に残っている)、このY氏は一審も二審も

無罪。そもそも彼を審議した形跡すらないという。。。


ーーーーーーーーーーーーーーーー

この事件については、かの731部隊関係者の影がちらほらしている!!




まず、この京都の報告書の発行者になっているOという人物。

彼は事件当時、京都府衛生部での地位は「係長」(こうした公的文書の「発行者」

として名を掲げるには、あまりにも地位が低すぎる・・・)。
実はこのO氏、戦争中は731部隊の傘下にあった南方軍防疫給水部(満州第

9402部隊)に所属し、シンガポールで炭疽菌の研究をしていた人物なのである。

Oは、この記録を作成後すぐに、731部隊長石井四郎の「番頭」と言われた

かの内藤良一の興した日本ブラッドバンク(後に薬害エイズ事件を起こすミドリ

十字の前身)の京都プラントの所長に就任している!

Oはまるで、この記録を編纂するためにだけ、厚生省(おそらくバックにGHQ)から

派遣されたかに見える、と田井中氏は言っている。


これでもか、という事実がもう一つ。

有毒ワクチンを製造した大阪日赤医薬学研究所の設立に深く関わったSという人物

は、元731部隊の軍医少佐であり、当研究所でジフテリアワクチンを作る必要が

生じた時、731部隊で自分の部下であったK(厚生省が製造メーカーを訴えた裁判で

唯一実刑に処された人物)を製造主任として呼び寄せたという!

この事件がいかに日本の「闇」の部分に深く根ざしているか
を示唆しているようだ。






はい。
↑半端に引用してますので、是非リンク先へどーぞ。
読みやすいです。

そもそも無毒化って、ナニソレ?デキルノ?オイシイノ?ってなもんだが。
前回でやったつもりなので、
破傷風とジフテリアのワクチンにあたるトキソイドへ。



トキソイド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%AD%E3%82%BD%E3%82%A4%E3%83%89
トキソイド(英: toxoid)は、外毒素をホルマリンなどで処理することにより、免疫原性を有した状態でその毒性を消失したもの。類毒素とも呼ばれる。不活化ワクチンの一種であるとされることもあるが、不活化ワクチンは病原体そのものを対象とするのに対してトキソイドは細菌の外毒素を対象とするものであり、両者は異なる概念であるとされることもある。破傷風、ジフテリアなどの予防に利用される。


http://homepage1.nifty.com/jibiaka50/hasyouhu.htm
【破傷風トキソイド】

普通三種混合ワクチンで破傷風は乳幼児の時にジフテリア、百日咳とともに生涯免疫
をつけます。

【三種混合ワクチン】
ジフテリア不活性化ワクチン(ジフテリアトキソイド)
破傷風不活性化ワクチン・・・破傷風トキソイド
百日咳不活性化ワクチン)



はい。
破傷風予防には、狂犬病予防もセットで行うように勧められるみたいですね。

で、百日咳の菌は、グラム陰性菌。

グラム陰性菌
http://www.weblio.jp/content/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E9%99%B0%E6%80%A7%E8%8F%8C
グラム染色で染まらない細菌の一群。細胞壁は二層で薄い。外層はリポ多糖類を主成分とし、菌が死ぬと遊離して、時に毒性を示す。大腸菌・コレラ菌・淋菌・根粒菌など、約八〇属が含まれる。

グラム陰性菌としては腸内細菌科の細菌(大腸菌、赤痢菌、サルモネラ、ペスト菌、肺炎クレブシエラ、エドワードジエラ、プロテウスなど)のほかに、コレラ菌などのビブリオ属、エロモナス属、緑膿菌、百日咳菌、レジオネラ、ピロリ菌、さらに淋菌、髄膜炎菌などのナイセリア属やリケッチア、クラミジアなど多くの病原細菌があり、酢酸菌などの発酵細菌や海洋細菌(海水中)の多くもグラム陰性菌である。
とくにグラム陰性菌の細胞壁に含まれるリポ多糖は菌体内毒素として種々の免疫・薬理活性(発熱作用、血管内血液凝固作用、血圧降下作用など)をもっているので、グラム陰性菌感染症で化学療法剤の投与によって、細菌が死滅したあとその菌体が破壊され、細胞壁のリポ多糖(内毒素)が放出されると、治療が困難なエンドトキシン・ショック(内毒素ショック)をおこすことがある。


グラム染色性と形状による分類と疾患
http://meddic.jp/%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%86%E3%83%A9%E5%B1%9E



あ、狂犬病のウイルスで、リッサウイルス属を出しましたが、もう一つ大きく見ると↓


ラブドウイルス科
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E7%A7%91
ラブドウイルス科(らぶどういるすか、Family Rhabdoviridae)とはウイルスの分類における一科。動物ウイルスではそのビリオンは銃弾型の形態をし、エンベロープに包まれている。ラブドウイルスの名前はギリシャ語で棒を意味するrhabdosに由来する。ゲノムは一本鎖-RNA。赤血球凝集性を有する。ラブドウイルス科の有名なウイルスとしては狂犬病ウイルスがあり、このウイルスはほとんどの温血動物に感染し、ヒトの場合は発症するとほとんどが死に至る。

RNAの転写と複製にはLとPが必要である。転写は遺伝子毎に行われ、細胞のものと同じ形のmRNAとなる。ビリオンにはカプシドを作るN、エンベロープの膜タンパク質G、これらをつなぐMの3種類のタンパク質が含まれる。


リボ核酸(RNA)
http://ja.wikipedia.org/wiki/RNA
リボ核酸(リボかくさん、英: ribonucleic acid, RNA)は、リボヌクレオチドがホスホジエステル結合でつながった核酸である。RNAと略されることが多い。RNAのヌクレオチドはリボース、リン酸、塩基から構成される。基本的に核酸塩基としてアデニン (A)、グアニン (G)、シトシン (C)、ウラシル (U) を有する。RNAポリメラーゼによりDNAを鋳型にして転写(合成)される。各塩基はDNAのそれと対応しているが、ウラシルはチミンに対応する。RNAは生体内でタンパク質合成を行う際に必要なリボソームの活性中心部位を構成している。

ゲノムとしてRNAを保持しているのはRNAウイルスのみであると考えられている


伝令RNA
http://ja.wikipedia.org/wiki/MRNA
伝令RNA(でんれいRNA、メッセンジャーRNA、英語:messenger RNA)は、蛋白質に翻訳され得る塩基配列情報と構造を持ったRNAのことであり、通常mRNAと表記される。DNAに比べてその長さは短い。DNAからコピーした遺伝情報を担っており、その遺伝情報は、特定のアミノ酸に対応するコドンと呼ばれる3塩基配列という形になっている。




>ゲノムとしてRNAを保持しているのはRNAウイルスのみであると考えられている

RNAウイルス
http://ja.wikipedia.org/wiki/RNA%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9
RNAウイルス
アレナウイルス科 : ラッサウイルス
オルトミクソウイルス科 : インフルエンザウイルス
カリシウイルス科 : ノロウイルス、サポウイルス
コロナウイルス科 : SARSウイルス
トガウイルス科 : 風疹ウイルス
ノダウイルス科 : ウイルス性神経壊死症ウイルス
パラミクソウイルス科 : ムンプスウイルス、麻疹ウイルス、RSウイルス
ピコルナウイルス科 : ポリオウイルス、コクサッキーウイルス、エコーウイルス
フィロウイルス科 : マールブルグウイルス、エボラウイルス
ブニヤウイルス科 : クリミア・コンゴ出血熱ウイルス、重症熱性血小板減少症候群ウイルス
フラビウイルス科 : 黄熱病ウイルス、デング熱ウイルス、C型肝炎ウイルス、G型肝炎ウイルス
ラブドウイルス科 : 狂犬病ウイルス
レオウイルス科
レトロウイルス科 : ヒト免疫不全ウイルス、ヒトTリンパ好性ウイルス、サル免疫不全ウイルス、STLV


遺伝子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
メンデルの法則発見から二重らせん構造発見までの歴史

1865年 グレゴール・ヨハン・メンデル(現在のチェコ)がエンドウ豆の交雑実験の結果を発表。(→メンデルの法則)
1869年 ミーシャーが膿の細胞抽出液からDNAを発見する。
1900年 メンデルの投稿した論文がユーゴー・ド・フリース(オランダ)、カール・エリッヒ・コレンス(ドイツ)、エーリッヒ・フォン・チェルマック(オーストリア)によって再発見される。この再発見者の一人フリースはパンゲン説を推し、細胞内で形質を伝達する物質をパンゲンと仮定する。
1903年 ウォルター・S・サットンが遺伝子が染色体上にあることを提唱した。(→染色体説)
1909年 ヨハンセンはメンデルの指摘した因子をフリークの名づけたパンゲン (pangen) から『gene(遺伝子)』と呼ぶことを提案した。
1910年 トーマス・ハント・モーガンがショウジョウバエの交雑実験を始める。
1921年 DNAのテトラヌクレオチドモデルを解説した論文が発表される(J. Biol Chem. 48:119〜125)。当時、遺伝物質は多様性に富んだポリペプチド(タンパク質)であり、テトラヌクレオチドはその保護の役割を果たしていると考えられていた。
1922年 モルガンらのグループによってショウジョウバエの4つの染色体上に座している50個の遺伝子の相対位置が決定され、発表される。
1927年 ミューラーがX線は遺伝子に突然変異を導入することを指摘する。

1934年 カスパーソンがDNAは生体高分子であることを示し、テトラヌクレオチドモデルが誤りであることが証明される。
1935年 マックス・デルブリュックらは、遺伝子は物質的単位であることを提案した。
1941年 ビードルとテータムが『一遺伝子一酵素説』(1つの遺伝子は1つの酵素をコードしている)を発表。
1944年 フレデリック・グリフィスの肺炎双球菌の形質転換実験(グリフィスの実験)を元にした、オズワルド・アベリーらの『DNAが遺伝物質であることの実験的証明』を収めた論文が掲載される(J. Exp. Med. 79:137〜158)。この論文はDNA=遺伝物質であることが確実な今、矛盾のないものだが、当時は評価を全く受けなかった(註:この見方は、アヴェリーが属していたロックフェラー研究所およびその周辺での、当初の反響を伝えているに過ぎない。実際には、ジョシュア・レーダーバーグ、ジェームス・ワトソン、マックファーレン・バーネットなど現代遺伝学・分子生物学の元を築いた科学者たちが、「まだ初学者であった頃にアヴェリーらの論文を読んで大きな刺激を受けた」と述べている。ちなみに、ワトソンは彼の著書(ワトソン&ベリー『DNA』)のなかでも、「アヴェリーの実験はハーシーとチェイスの実験が行われる前に既に評価されていた」と重ねて記している。つまり、先を見据えていた科学者の間では正当に評価されていたということである。)
1950年 エルヴィン・シャルガフがペーパークロマトグラフィーを用いて塩基存在比に数学的関連があることを明らかにした(AとT、GとCはそれぞれ数が等しいことを示した)。
1952年 アルフレッド・ハーシーとマーサ・チェイスによる『ハーシーとチェイスの実験』結果が論文に掲載される(J. Gen. Physiol. 36:39〜56)。本論文によってファージの遺伝物質がDNAであることが確実視されたと言われる。同年、ロザリンド・フランクリンがDNAが二重らせん構造であることを証明するX線回折像写真を撮影する。
1953年 ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによってDNAのB型二重らせん構造のモデルが示され、DNAは生体内で『二重らせん構造』をとっていることを示す論文が発表される(Nature 171:737,738)。

[編集] 二重らせん構造発見以降の歴史

1955年 セベロ・オチョアによってポリヌクレオチドホスホリラーゼが発見された(一見遺伝子とは無関係だが遺伝暗号の解明に寄与した重要な酵素である)
1956年 エリオット・ヴォルキンとラザルス・アストラチャンによってDNAからタンパク質への情報のメッセンジャーがRNAである証拠が提出された(mRNAが存在する可能性を示した、このことが確実になったのは5年後、ソル・シュピーゲルマンとベンジャミン・D・ホールらの実験による)
1958年 クリックによってセントラルドグマが提唱された(Symp. Soc. Exp. Biol. 12:138〜163)。
1959年 ロバート・ホリーによってtRNAala分子が単離された
1961年 マーシャル・ニーレンバーグとハインリッヒ・マテイによって大腸菌無細胞発現系を用いたポリウラシルからポリフェニルアラニンが合成される実験が行なわれた(遺伝暗号解明への初めての実験)
1964年 ニーレンバーグとフィリップ・レーダーによって遺伝暗号解明に大きな寄与をした『トリプレット結合能測定法』が開発された。ヤノフスキーによって遺伝子がタンパク質をコードしていることが示された(遺伝子タンパク質間の共直線性が示された)
1966年 遺伝暗号の解読が完了した
1970年 ハワード・テミンとデビット・バルチモアがそれぞれある種のウイルスで逆転写反応を見出した(セントラルドグマ概念の訂正)

1977年 遺伝子が介在配列によっていくつかの単位に分断されていることが発見された(不連続遺伝子、イントロンの発見)
1979年 フレデリック・サンガーによってミトコンドリアではことなる遺伝暗号が使用されていることが発見された(非標準コドンの発見)
1981年 トーマス・チェックによって自己スプライシングイントロンが発見された(リボザイムの発見)




狂犬病に戻って、

ラブドウイルス科
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E7%A7%91

分類
Genus Lyssavirus
狂犬病ウイルス(Rabies virus)
Genus Vesiculovirus
水胞性口内炎アラゴウイルス(Vesicular stomatitis Alagoas virus)
Genus Ephemerovirus
牛流行熱ウイルス(Bovine ephemeral virus)
Genus Novirhabdvirus
伝染性造血器壊死ウイルス(Infectious hematopoietic virus)
ウイルス性出血性敗血症ウイルス(Viral hemorrhagic septicemia virus)
Genus Cytorhabdovirus
Lettuce necrotic yellows virus
Genus Nucleorhabdovirus
Potato yellow dwarf virus
[編集] 関連項目
RNAウイルス
ウイルス性出血性敗血症(VHS)-ニジマス、カワカマスなどの筋肉に点状出血
牛流行熱
狂犬病
水胞性口炎
伝染性造血器壊死症(IHN)-サケ科魚類の造血器に壊死、鰭や筋肉にV字型出血
ヒラメラブドウイルス病-ヒラメに腹水貯留


はい。

伝染性造血器壊死ウイルスは、病理所見として体側や肛門付近の筋肉内にV字状出血、腹膜、腹腔内脂肪組織、鰾に点状出血、血様腹水貯留、腎臓、脾臓の造血器官の壊死、骨格筋内の出血が認められる

ウイルス性出血性敗血症は、外部所見は体色黒化、眼球突出、鰓の褪色、内部所見、病理所見は内臓や腹腔の大量出血、鰾、腹膜、腹腔内脂肪組織、骨格筋に点状出血、腎臓や脾臓の造血器官の壊死、貧血、白血球の減少。

どちらも、造血器官の損傷。
白血球も出てるが、点状出血は、血小板機能の損傷。人間でいう白血病みたいなもんかしらね。
白血病は、白血球だけの異常ではなく、赤血球や血小板も減少する。


牛流行熱は、突然の発熱(41-42℃)、泡沫性流涎、呼吸促拍、肺気腫、皮下気腫、白血球減少などであり、ほとんどの個体で数日で回復するが、四肢関節の浮腫、疼痛による跛行を示して起立不能に至る個体も存在する。病理所見として上部気道粘膜の充出血、肺実質の肝変化、カタル性肺炎などが認められる。



肝臓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%9D%E8%87%93
造血機能
骨髄での造血が開始されるまでの間、肝臓と脾臓で造血されている。出生後は肝臓で造血されることはないが、何らかの理由で骨髄での造血が障害されると、肝臓での造血が見られることがある(髄外造血)。


白血病
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%A1%80%E7%97%85
骨髄で極めて若い造血細胞の遺伝子に1つ以上の遺伝子異常が後天的に起きて白血病幹細胞が発生し、それが増殖して骨髄を占拠するようになると発症するものと考えられている。

遺伝子異常が起きる原因として放射線被曝、ベンゼンやトルエン、抗がん剤など一部の化学物質、HTLVウイルスなどは発症のリスクファクターとされているが、しかしそれらが原因と推察できる白血病はごく一部に限られ、白血病のほとんどは原因は不明である[65]。白血病は親から子への遺伝もしないし、成人T細胞白血病をわずかな例外とすればうつることもない[66]。ほとんどの白血病はウイルスなどの病原体によるものではないが、例外的に2種類だけウイルスが関わっているものがある。一つは日本で同定された成人T細胞白血病で、レトロウイルスの一つ HTLV-I の感染が原因であることが明らかになっている[67]。もう一つは急性リンパ性白血病バーキット型(FAB分類 ALL L3)の中でアフリカなどのマラリア感染地域に多い風土病型といわれるタイプでEBウイルスとの関連が指摘されている。

造血細胞ががん化したものが白血病である


ヒトTリンパ好性ウイルス(HTLV-I)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%88T%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%91%E5%A5%BD%E6%80%A7%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9

特にHTLV-Iは最初に発見された疾患を起こすヒトレトロウイルス。類縁ウイルスにsimian T-lymphotropic virus(=STLV)がある。宿主であるヒトのT細胞内では核内に移行し、RNAからcDNAを逆転写により生成し、cDNAは宿主ゲノムDNAへインテグレーション(integration)する。






はい。
何がややこしいって、細菌学がいつの間にか遺伝子学になってるって事w
細菌の分類と遺伝子の分類を合わせて見れれば、いいんですけど。
キレイに出せればイイんですけど、ワタシ無理っぽいw
と、アウアウアーしてるのもアレなんでw

遺伝子の歴史で出てきましたが、核の話も混ぜていきましょう。
結晶学、X線、X線回折。
の前の、ウランの利用、存在から。



ウラン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%B3
歴史
酸化ウランの利用は紀元後79年にさかのぼる。イタリアのナポリ付近で製造されていたガラスには1%程度の酸化ウランが着色剤として混合されており、黄色-緑色の美しい色彩を有していた。19世紀にこのガラス製品が再発見された時点ではウラン源としてはボヘミアのハプスブルク銀鉱のみが知られており、ナポリのガラス工は成分を秘密にしていた。

元素としてのウランはドイツのマルティン・ハインリヒ・クラプロート (M. H. Klaproth) が1789年に閃ウラン鉱から発見した。1781年にウィリアム・ハーシェルにより発見された天王星 (uranus) が語源となっている。クラプロートは、閃ウラン鉱から分離した酸化物を炭素で還元して金属光沢を持つ黒色粉末を分離。この物質を金属ウランと発表したが、これは後に二酸化ウラン (UO2) だったと判明した[13]。1841年にウジェーヌ=メルキオール・ペリゴーが塩化物をカリウムで還元することにより初めて金属単体として分離に成功し、1850年にはイギリスでもガラスの着色剤としての利用が始まった。

ウラン鉱物が放射線を発していることは、1896年にフランスのアンリ・ベクレルによって発見された[10]。光が当らないようにした(黒い紙で包んだ)写真乾板を、ウラン鉱物のそばに置いておくと、その乾板が感光したのである。2年後の1898年、ピエール・キュリー、マリ・キュリー夫妻によってチェコスロバキアのヨアヒムスタール鉱山で得たウラン鉱石からラジウムとポロニウムの抽出に成功し、自然に放射性壊変を起こす元素の存在が世界で初めて証明された。







はい。

紀元前からのウランを使ったガラス細工(着色)。
岡山の人形峠にある施設で、小学生にも見れるっつー鬼畜な施設がありますが。

ユダヤな宝石商、ロスチャな核。
資源採掘屋だから、そのまんまですけどね。

オーストラリアの先住民である、アボリジニーは、悪魔が住むとして、近づかなかった山々がある。
略奪者達によって、生活を 住む場所を追われたアボリジニーは、その山に逝かされた。
そこで、生活を仕事をしている。
ウラン鉱山です。

紀元前からのウランを使ったガラス細工(着色)。
キレイな色だから、宝石だったり、宝物と連想出来ますねw
呪われた伝説の武器、宝物ってw
連想できるよね。


↓のハタ次男サンのブログにイロイロとまとめられています。


●憂いの果てに〜次男坊のアフォリズム〜
○草薙の剣は、ウランで出来ていた?!

http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-417.html




でわ、近代の核利用の年表を。


核・原子力関連年表1(〜1945年)
http://www.nagai-bunko.com/shuushien/atomic/atomtl01.htm

1789年

    この年、ドイツのマルティン・ハインリッヒ・クラプロート、ウランを発見。

1828年

    この年、スウェーデンのヨンス・ヤコブ・ベルセリウス、トリウムを発見。

1895年

 11月 8日 ウィルヘルム・レントゲン、X線を発見。

1896年

  3月 1日 アンリ・ベクレル、ウラン放射線を発見。

1901年

    この年、レントゲン、第1回ノーベル賞受賞。

1903年

    この年、アーネスト・ラザフォードとフレデリック・ソッディ、原子崩壊説を提唱。
    この年、フィリップ・レナード、原子の内部は稀薄な構造になっている事を確認する。
    この年、ベクレル、ノーベル賞受賞。

1904年

    この年、長岡半太郎、原子模型の理論を発表。

1905年

    この年、アルバート・アインシュタイン、特殊相対性理論を発表。

1908年

    この年、ハンス・ガイガー、放射線測定器ガイガーカウンターを開発。

1911年

  3月 7日 ラザフォード、ガイガー、マースデンら原子模型を発表。
    この年、オーストリアのヘス、気球で宇宙線を測定。

1913年

    この年、ボーア、原子構造の量子論を発表。
    この年、高峰譲吉、国民科学研究所の必要性を提唱。

1915年

 11月15日 アインシュタイン、一般相対性理論を発表。
    この年、理化学研究所創立決定。

1917年

 11月 7日 ロシア革命。

1919年

  5月29日 アーサー・エディントン、皆既日食をアフリカのプリンシペで観測し、相対性理論を証明する。
  6月    ラザフォード、α線を窒素原子に衝突させて原子核の人工変換に成功。

1920年

  6月 3日 ラザフォード、英国学士院で中性子の存在について検討。

1923年

    この年、アーサー・コンプトン、コンプトン効果を発表。

1927年

    この年、コンプトン、ノーベル賞受賞。

1929年

  4月    アーネスト・ローレンス、サイクロトロンを考案。

1930年

   この年、 ワルサー・ボーテとハーバード・ベッカー、
        α線をベリリウムに照射して、謎の放射線がでるのを観測(中性子線の観測?)。

1931年

  1月18日 ジョリオ・キュリーとイレーヌ・キュリー、
        α線をベリリウムにあてる実験中、そばにあったパラフィンから陽子が飛びだしたのを観測。
 11月    ハロルド・ユーリーら、重水素を発見。

1932年  

2月27日 ジェームズ・チャドウィック、キュリー夫妻の実験を再試し、中性子を発見。  
2月    アーネスト・ローレンス、サイクロトロンを完成。 
12月    アインシュタイン、ナチスの迫害を逃れ、ベルギーへ。

1933年

  4月 6日 シラード、ドイツを脱出して、ウィーンに移る。
  4月 7日 ドイツ、ユダヤ人追放の公務員法を施行。
         Born, Courant, Franckをはじめとする複数の科学者を、ゲッチンゲン大学から追放する。
  5月    シラード、英国へ亡命。
  9月 9日 アインシュタイン、英国に渡る。
  9月12日 シラード、英国で、中性子による原子核反応の連鎖を構想。
 10月 7日 アインシュタイン、アメリカへ亡命。
 10月    ソビエトのガモフ、ソルベー会議の直後に、アメリカへ亡命。
    この年、ルドルフ・バイエルス、英国へ亡命する。

1934年

  1月15日 ジョリオ・イレーヌのキュリー夫妻、人工の放射能を発見。
  5月10日 エンリコ・フェルミ、超ウラン元素を予言。
  7月    シラード、核の連鎖反応の特許を取得。
 10月22日 フェルミ、中性子照射実験で、減速した中性子による放射線を観測。

1935年

  2月    ハンス・ベーテ、アメリカへ亡命。
  8月15日 シラードの手紙(アインシュタインも署名)、天然ウラン原子炉と共に原子爆弾の可能性を指摘。
  8月    エドワード・テラー、アメリカへ亡命。
    この年、湯川秀樹、中間子理論を発表。

1936年

  1月27日 ニールス・ボーア、原子核は陽子と中性子からなることを発表。
  2月    シラード、英国海軍に、核の連鎖反応に関する特許を譲渡する。
    この年、宇宙線を発見したヘス、ノーベル賞受賞。
    この年、フランシス・アストン、講演で、水素をヘリウムに変換すると1%の質量がエネルギーとして解放されると説明。

1937年

  3月30日 大阪帝国大学にサイクロトロン完成。
  4月 6日 理化学研究所にサイクロトロン完成。
  7月 7日 日中戦争勃発。
    この年、ローレンス、220tの大サイクロトロンの計画を発表。





https://mobile.twitter.com/jhatajinan/status/323742837613133824?p=v
ハタ次男 @jhatajinan
さっき、プルトニウムの癌化は重金属の毒性だという、人の不勉強さがいやに鼻につくのだろう馬鹿がいたが、重金属は癌化させるというよりも中枢神経系の必須元素の流通を阻害することが毒性であるわけだが、それなら水俣病は癌化ということになる。癌はDNAの突然変異に端を発する。





そのやりとりは↓

https://mobile.twitter.com/jhatajinan/status/323754788888129536?p=v




あらあら、ヒドイわw
今日も撒き散らし更新だわw


posted by デスペラード at 03:38| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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