2013年03月23日

産業技術総合研究所と理化学研究所 経産省と文科省と加速器

Dos攻撃ひどいですなw

誰だったか忘れましたが、米国でカネの塊の悪事をばらしていた方のブログが
URLそのままに、そのブログがエロサイトになっているとゆーのがありましたっけ!?

んで、デスペはんなりの一番のご訪問リンク元がパツキンポルノサイトに最近なっておりますw
胸熱ですwww

でっかいトコロは反響すごそうだから、超雑魚から逝かせますか?w

まぁ、一度に豪快にやりそうですけど。

ナノとドローンと電磁波と・・・。

あれ?
昨日見てた奴って…
電磁結界www
サーバーブラックアウトwww

そーいや、ネットって奴は、核戦争が起きた場合の情報手段とかなんとかが始まりでしたっけ!?


○シオニストの日 3月20日  メモ
http://t.co/bjnhJr4HIT

○公安の存在がよりでかくなる2013年
http://desuperado.seesaa.net/article/310915981.html?1363781298







https://mobile.twitter.com/kenkatap/status/314315924498960386?p=v
韓国、放送局や銀行ネットダウン サイバーテロか【東京新聞
http://t.co/iYHZbGuOgK
▼KBSとMBC、YTNの3放送局や新韓銀行、農協の社内イントラネットなどが20日午後、一斉にダウン▼11年には農協の電算システムが全国的にまひし北朝鮮によるサイバー攻撃と断定

https://mobile.twitter.com/desupehannari/status/314345841475325953?p=v
desuperado @desupehannari
↑昨日、見てた兵器を組み合わせすると、、、まさしくコレな感じなんだよね。





https://mobile.twitter.com/desupehannari/status/313993914711412737?p=v
desuperado @desupehannari
ドローン(無人航空機)による秘密侵害のおそれがかなり現実味を帯びてきたようだ

http://t.co/Kv550aVZzT
Domestic Drones Stir Imaginations, and Concerns
 New York Times: March 17, 2013
 http://www.nytimes.com/2013/03/18/business/domestic-drones-on-patrol.html
侵害されるおそれのある秘密の中には,個人のプライバシーだけではなく,国家の国防上の機密事項や私企業の企業秘密等も当然に含まれる。蝿のような小型のドローンを飛来させ,超強力ズームレンズで撮影すれば,かなり多くの秘密事項を盗み取ることが可能だ。

このような場合,強力な電磁波砲を用いて墜落させる行為,塩水を放水して墜落させる行為,強力なレーザー光線を照射してリモート操縦者を失明させる行為等が正当防衛その他の違法性阻却事由に該当するか否かが近未来の法的課題のひとつになることは疑いようがない。



強力な電磁波砲…

https://mobile.twitter.com/desupehannari/status/313995705737945088?p=v

あら、ドローンvsリニアコライダーのエキシビジョンマッチがニホンで行われるのかしら?




○トリチウム レーザー核融合 電磁波
http://desuperado.seesaa.net/article/317134984.html

●つながっているこころ
ウラン
http://cocorofeel.blog119.fc2.com/blog-entry-3431.html

このあたりはやはり花崗岩が多いんだね。

CERNとカミオカンデとKEK その3で
http://cocorofeel.exblog.jp/9432707
リニアコライダーの候補地を書いたでしょ。
その条件が”地盤振動が低いことが期待される花崗岩などの岩盤地帯”



”リニアコライダー”って何ぞ!?

国際リニアコライダー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC




ビームですって。
反陽子と陽子の衝突は、うまくいってないとか。
まぁ、ジャバウォックですねw
電子-陽電子衝突は、データ取りは順調そうです。
まぁ、何の話ですか?僕の頭じゃイミフw

ただ、これって ”ビッグバン” へ繋がる研究とか言ってますね。
ビッグバンって、核爆発的な推測でしたっけ?

おや、水爆やらレーザー核融合やらの隠れ蓑かしら?
それとも、核(兵器)開発、燃料サイクルの一環かしら?






ジャバウォックジャバウォック五月蠅くて、スミマセンw
ええと、仮想世界にジャンプw



ARMS(漫画)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ARMS
人間の能力をより高みへと昇らせるために(理由は多々あるが)生み出されたとされる、炭素生命体と珪素生命体のハイブリッド生命体。ナノマシン(厳密には金属生命体の細胞)の集合体であり、ナノマシンを統括する力を持ったARMSのコアを人間に移植、もしくは人間の体内でコアが生成されることで誕生する。

ARMSの登場人物 ジャバウォック
http://ja.wikipedia.org/wiki/ARMS%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9

ARMSの中でも特に進化が激しく、他のARMSや機械からエネルギーや能力を取り込んだり、攻撃を受ければ受けるほど、戦えば戦うほど、涼の憎しみが強まれば強まるほど“力”は増していき、戦いの中で大型の手甲のように変化して圧縮空気や電磁誘導を利用した砲撃や、高速移動(超音速移動)や反物質の生成、超振動発生能力を生み、際限なく強くなっていく。更には核弾頭までも取り込み、自らの力の呼び水としていた。






ナノマシン、電磁波、高速移動、反物質、核を飲み込む力。



現実世界に戻るw


反物質
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E7%89%A9%E8%B3%AA

性質
物質と反物質が衝突すると対消滅を起こし、質量がエネルギーとなって放出される。これは反応前の物質・反物質そのものが完全になくなってしまい、消滅したそれらの質量に相当するエネルギーがそこに残るということである 。1gの質量は約 9×1013(90兆)ジュール のエネルギーに相当する。ただし 発生するニュートリノが一部のエネルギーを持ち去るため、実際に反物質の対消滅で発生するエネルギーは、これより少なくなると言われる。

反物質は自然界には殆ど存在しないので、人工的に作らねば得ることが難しい。非常に高いエネルギーを持つ粒子どうしを衝突させると、多くの粒子が新たに生成されることは既に知られているが、これは、粒子が衝突前に持っていたエネルギーがそれに相当する質量に変わるためである。物質と反物質の衝突とは逆の事が起きていることになるので、それによって生成される粒子の中に反粒子が実際に含まれている。そのため現在では、人工的に高エネルギーの粒子を、粒子加速器という非常に巨大な装置を使って作り出し、それらを衝突させて反粒子を作りだし捕獲することで反粒子を得ている。


将来の利用法
反物質は粒子加速器を使う核融合実験の際に、微量ずつ発生しては、発生の次の瞬間には対消滅で消え去っている事が観測データから確認されているが石油やウランなどと異なり自然には殆ど存在せず、そのため反物質を得るには一から生成する必要がある。

ただし、反物質を生成するのに必要なエネルギーは、反物質を燃料として消費するときに得られるエネルギーよりも大きいため、結局は損をする。これは、水素を燃料として使うために水を電気分解した後、再び燃料電池として電気に戻して消費するサイクルに似ている。ただ、エネルギー密度だけを考えれば非常に高密度であるので遠い将来の宇宙開発のような特殊な用途での利用が想像されている。反物質は物質に触れると爆発的な対消滅を起こすので貯蔵や取り扱いには工夫が必要になる。



ニホンでのコライダー施設のトップを走るのが筑波研究所にあるKEK。
そこのコンピューターに富士通が入ってるのは、言うまでもないが(IT関連は何処を見渡しても富士通がシェアNo1です)、
日立が2006年からシミュレーション用のいかついコンピューターを導入している。



KEK
http://aaa-sentan.org/ILC/about-collider/
加速器とは

ILCでは、電子と陽電子をそれぞれ極限速度である光速近くまで加速することによって、宇宙初期に迫る超高エネルギーの世界に到達します。





+と−をものすごく細かく切り替えていって、電子の速度を高速化する。光の速さまで。
ん〜と、磁石の引き寄せと引き離しを思い出してみて。
あれの切替すんごいバージョン。
それを極限まで速めて高めて衝突&放出。






http://www.kek.jp/ja/NewsRoom/Release/20130321140000/
J-PARCで世界最大のパルス中性子ビーム強度を達成

平成25年3月21日
※このプレスリリースは、独立行政法人日本原子力研究開発機構(JAEA)と大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(KEK)が共同で運営する陽子加速器施設とその利用施設群、J-PARCにおける研究に関する成果です。



○平成24年11月22日から、陽子ビーム出力を300kWにまで上昇させて、J-PARC※1(大強度陽子加速器施設)のパルス中性子源※2から供給されるパルス中性子ビーム※3の実験者向け利用運転を開始。
○この度、中性子を計測したデータを詳細に解析した結果、この運転で供給されている中性子数は1パルスあたり約65兆個で、世界最大強度のパルス中性子であることを確認。
○このパルス中性子の利用により、物質科学や生命科学等の分野で世界をリードする最先端の研究成果の創出や高機能材料、薬剤等の創成につながる産業利用の一層の促進に大きな期待。



【用語解説】
※1 J-PARC
独立行政法人日本原子力研究開発機構(JAEA)と大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(KEK)が共同で、茨城県東海村で運営している陽子加速器施設と利用施設群の総称。(Japan Proton Accelerator Research Complex)

※2 パルス中性子源
100万分の1秒という短い時間に大量の中性子を発生させ、これを繰り返し行う装置。
加速器で陽子を100万分の1秒という短い時間に集中させ、これを間欠的に生成させ、さらに1億電子ボルト以上の高エネルギーに加速する。この陽子を、水銀、鉛、タングステン、タンタル、ウラン等の標的に入射させると、標的の原子核が粉々になり、多数の陽子や中性子が放出される(核破砕反応)。ここで生成した中性子(温度換算で数百億℃)を実験に適した-250℃程度の温度にまで冷やし、多様な中性子実験装置に中性子ビームとして供給する。J-PARCのパルス中性子源は、標的に水銀を用い、毎秒25回の割合で中性子を間欠的に生成させる能力がある。
パルス中性子強度は瞬間的な明るさに相当し、この強度が高いほど、物質の構造や相互作用に関してより鮮明な情報を得ることができる。





http://www.kek.jp/ja/NewsRoom/Release/20130321220000/

KEK素粒子原子核研究所・理論センター ウェブサイトの改ざんについて

2013年3月21日

KEK素粒子原子核研究所・理論センターのウェブサイトのトップ画面が、外部から不正に書き換えられていることが3月20日午後9時過ぎに判明し、KEKは同センターのウェブサーバーを同日午後10時に停止しました。現在、同ウェブサイトのほか、同じサーバで KEKが管理している総合研究大学院大学・高エネルギー加速器科学研究科及び素粒子原子核専攻のウェブサイトの公開を停止しています。詳細は目下調査中です。

なお、KEKのほかのウェブサイトには支障は出ておりません。

高エネルギー加速器研究機構





昨年秋からの実験で世界最大のパルス中性子ビーム強度を達成とサイバーアタックが3月21日のプレスリリース。


3月21日は、茨城県北部で地震があったね。
http://www.jma.go.jp/jp/quake/3/20130321143836393-211434.html

3月18日の茨城県北部の地震
http://www.jma.go.jp/jp/quake/3/20130318065642393-180653.html


J-PARC
http://ja.wikipedia.org/wiki/J-PARC
建設地 茨城県那珂郡東海村白方白根2番地の4 日本原子力研究開発機構 東海研究開発センター 原子力科学研究所


グーグルアースとか地図が見れる人は見て下さい。
ワタシのオンボロPCは、地図検索、ほぼフリーズかかるのでw




はい。

https://mobile.twitter.com/desupehannari/status/312574777611137026?p=v

電子・陽電子衝突型加速器ってのがナノテクです。

http://t.co/kUsKDS9vNcこれは、中国だけど全世界的に協力体制でやっております。

http://t.co/gtNhKQCDysこれは、三菱重工。バイオとの連携も勿の論です。



電子、分子、原子…
それらを動かすモノですから、ナノテクノロジーです。
ニホンの加速器を見てると、表立ってナノテクとあまり出ませんw(ので、↑の中国を出しました。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%8E%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8E%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC
ナノテクノロジー (nanotechnology) は、物質をナノメートル (nm、1 nm = 10-9m)の領域すなわち原子や分子のスケールにおいて、自在に制御する技術のことである。ナノテクと略される。




加速器は、仁科教授で、理研が始まり。


理化学研究所は文科省。



理化学研究所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E5%8C%96%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
概要
鈴木梅太郎、寺田寅彦、中谷宇吉郎、長岡半太郎、嵯峨根遼吉、池田菊苗、本多光太郎、湯川秀樹、朝永振一郎、仁科芳雄、菊池正士など多くの優秀な科学者を輩出した。

後に理研コンツェルンと呼ばれる企業グループ(十五大財閥の一つ)を形成したが、太平洋戦争の終結と共に解体された。1958年(昭和33年)に特殊法人「理化学研究所」として再出発し、2003年(平成15年)10月に文部科学省所管の独立行政法人「独立行政法人理化学研究所」に改組されて今日に至る。



理研グループ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E7%A0%94%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
理研グループ(りけんグループ)は戦前の理研コンツェルンの流れを汲む企業グループ。

概要
理研コンツェルン(「理研産業団」とも呼ばれる)は渋沢栄一が設立した財団法人(のちに特殊法人化→独立行政法人移行で現在に至る)理化学研究所の研究成果を企業化して生まれた関連会社群からなる新興財閥だったが、GHQから十五大財閥指定を受け、財閥解体により持株会社だった理化学興業は解体。その後、理研光学(現在のリコー)の市村清により三愛会を結成。現在は‘リコー三愛グループ’と称している。

また、政府との関与が濃厚であったため、戦後、融資系列が旧日本勧業銀行・旧日本興業銀行(現みずほ銀行・みずほコーポレート銀行)など、かつての特殊銀行の流れを汲む銀行となっている企業が多い。


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芙蓉グループな感じですね。
芙蓉といえば、あっちにこっちに売りまくる感じですね。
で、YMCA 統一教会 な 渋沢栄一。

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理化学研究所  wiki

沿革
1913年(大正2年)に高峰譲吉らが「国民科学研究所」構想を唱え、渋沢栄一らがその構想について議論を行った。
1915年(大正4年)の第37回帝国議会で「理化学研究所創立」が決議された。
[編集] 財団法人 理化学研究所
1917年(大正6年)に渋沢栄一を設立者総代として皇室からの御下賜金、政府からの補助金、民間からの寄付金を基に財団法人理化学研究所として東京都文京区駒込に設立され、伏見宮貞愛親王を総裁に奉戴した。 初代所長は菊池大麓。
1921年(大正10年)に大河内正敏が3代目所長に就任、研究室制度を打ち出す。神奈川県藤沢市の大日本醸造株式会社内に大和醸造試験所を設立し、合成酒の製造研究を開始。
1922年(大正11年)、研究室制度が発足。主任研究員に大幅な自由裁量が与えられた。主任研究員は各帝国大学の教員と兼務でもよく、研究室を理化学研究所でなく各帝国大学に置くことも自由になった。主任研究員が予算、人事権を握り、研究テーマも自主的に決める研究室制度は、理化学研究所を活性化したが、湯水のように研究費が投入された結果財政難に陥った。

この年、鈴木梅太郎研究室の高橋克己が長岡半太郎や寺田寅彦の助力を得て魚のタラの肝油から世界で初めてビタミンAの分離・抽出に成功した。試作品として売り出したところ、肺結核の特効薬との噂が広まり患者の家族らが殺到する事態となった。大河内所長はその様子を見てこれを工業化することを決断し、鈴木梅太郎研究室をせきたてて4ヶ月で工業化にこぎつけた。既存の医薬品企業と提携せずに理化学研究所の自主生産で「理研ヴィタミン」を販売し、財政難を乗り切った。1924年(大正13年)には理化学研究所の作業収入の8割をビタミンAが稼ぎ出した。ビタミンAの1カプセルあたりの製造原価は1,2銭だったが、理化学研究所はこれを10銭で直接販売したため利益幅は大きかった。
1927年(昭和2年)に、理化学研究所の発明を製品化する事業体として理化学興業を創設し大河内所長が会長に就任した。理化学興業と理化学研究所は工作機械、マグネシウム、ゴム、飛行機用部品、合成酒など多数の発明品の生産会社を擁す理研産業団(理研コンツェルン)を形成してゆく。最盛期には会社数63、工場数121の大コンツェルンとなった。1939年(昭和14年)の理化学研究所の収入370万5000円のうち、特許料や配当などの形で理研産業団各社が納めた額は303万3000円を占めた。その年の理研の研究費は231万1000円だったので、理化学研究所は資金潤沢で何の束縛もない「科学者たちの楽園」だった。のちに理研コンツェルンの事業を継承した会社にはリコー等理研グループと呼ばれる企業群がある。
1937年(昭和12年)に仁科芳雄研究室が日本で最初のサイクロトロンを完成させた。1943年(昭和18年)に大型サイクロトロンを完成させた。
1941年(昭和16年)、陸軍の要請を受け、仁科芳雄が中心となって原子爆弾開発の極秘研究(ニ号研究)を開始。
1946年(昭和21年)、太平洋戦争終結とともに連合国軍司令部の指命により理化学研究所、理研工業(理化学興業の後身)、理研産業団は解体され、仁科研究室のサイクロトロンも海中に投棄された。公職追放された大河内所長に代わって仁科芳雄が第4代所長に就任。
[編集] 株式会社 科学研究所
1948年(昭和23年)、「株式会社科学研究所」(初代社長仁科芳雄)発足。財団法人理化学研究所は正式に解散した。
1952年(昭和27年)、株式会社科学研究所(新社)設立。旧社は科研化学株式会社に改称し、純民間企業となる(現在の科研製薬株式会社)
1956年(昭和31年)、「株式会社科学研究所法」が制定され、政府の出資を受ける。
[編集] 特殊法人 理化学研究所
1958年(昭和33年)に「理化学研究所法」が制定され、特殊法人「理化学研究所」として新たに発足した。
1967年(昭和42年)、埼玉県北足立郡大和町(現在の和光市)に大和研究所(現:和光本所 和光研究所)を開設、本拠地を駒込からここへ移転。
1984年(昭和59年)、ライフサイエンス筑波研究センター(現:筑波研究所)を筑波研究学園都市(茨城県つくば市)に開設。
[編集] 独立行政法人 理化学研究所
2003年(平成15年)10月、独立行政法人化され、2001年(平成13年)にノーベル化学賞を受賞した野依良治を理事長に迎えた。
2005年(平成17年)8月、「感染症研究ネットワーク支援センター」発足。
2012年(平成24年)9月、計算科学研究機構のスーパーコンピュータ「京」運用開始。
[編集] 歴代理事長
[編集] 特殊法人
代 氏名 在任時期 備考
初代 長岡治男 1958年10月 - 1966年10月 元日本合板船社長、長岡半太郎の長男
第2代 赤堀四郎 1966年12月 - 1970年4月 大阪大学名誉教授、元大阪大学総長
第3代 星野敏雄 1970年04月 - 1975年4月 元東京工業大学教授
第4代 福井伸二 1975年04月 - 1980年4月 元千葉工業大学理事長
第5代 宮島龍興 1980年04月 - 1988年4月 元筑波大学学長
第6代 小田稔 1988年04月 - 1993年9月 元東京大学教授、元宇宙科学研究所教授
第7代 有馬朗人 1993年10月 - 1998年6月 東京大学名誉教授、元東京大学総長
第8代 小林俊一 1998年08月 - 2003年9月 東京大学名誉教授
[編集] 独立行政法人化後
代 氏名 在任時期 備考
第9代 野依良治 2003年10月 - 現職 ノーベル化学賞受賞者





不祥事・事件
2004年(平成16年)2月、元理事の研究費不正流用(約526万円)と、環境型セクシュアル・ハラスメントが発覚する。
2004年(平成16年)6月、海外出張旅費を二重取りしていた元主任研究員に対して、詐欺容疑(約190万円)で告訴状が出される。(結果は不起訴処分)
2004年(平成16年)12月、研究不正があったと記者発表(後に取消)
2006年(平成18年)4月、延べ1937名もの職員による放射線業務手当の不正受給(1068万円)が発覚。
2007年(平成19年)3月、研究業務課長のタクシー券私的使用(189件・192万530円分)が発覚。
2009年(平成21年)9月、主任研究員が架空取引を行い当研究所に損害を与えたとして背任容疑で逮捕
2010年(平成22年)4月、研究不正の記者発表を裁判の和解に基づき取り消した。
2010年(平成22年)4月、事業仕分けにおいて、アシスタントに配偶者を雇用していることを問題視され指摘される



文科省の所轄に配備されてから(2003/10から文科の傘)、地方の公務員叩きnewsのような不祥事がwww
(回収出来そうになったらしますw)

で、ニホン最初の加速器、サイクロトロンです。



理研の沿革
http://www.riken.go.jp/r-world/riken/history/zaidan/index.html

1937年 
仁科芳雄、わが国初のサイクロトロン(26インチ 28トン)を作製

1945年
太平洋戦争終結/サイクロトロン、東京湾に投棄される
サイクロトロンは、米国陸軍から受託したウランに関する「ニ号研究」(仁科の頭文字のニを取って命名された)において、原爆の開発に使用された烙印を押され、GHQにより破壊され投棄された。『ニューヨーク・タイムズ』によるこのニュースに、米国科学界は「馬鹿げており、愚か」と激怒。さらに、『ニューヨーク・タイムズ』は「米国の科学者らは…サイクロトロンは研究機器であって、原爆製造機械ではなく…この略奪行為に責任のある公務員は懲罰を受けるべきである」と報じた。



捨てられた・・・とあるが、ありました京都大学に。
原発、放射能の馴れ合い大学。
う〜ん、聖戦大学と呼ぼうかしらw



加速器 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E9%80%9F%E5%99%A8

日本では理化学研究所の仁科芳雄博士らが1937年から陽子サイクロトロンを建設、しかし、太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦でGHQの指示によりサイクロトロンが破壊された。当時の部品で現存するのは、「ポール・チップ」と呼ばれる磁極として使われた鉄製円盤(直径約1メートル、厚さ約0.15メートル、重さ約250キロ)1枚のみである。今まで部品は全て廃棄されていたと思われていたが、京都大学の研究者が保管し続けていたという[2]。

1951年5月に来日したローレンスの助言により12月に科研(理研)で小型サイクロトロンの建設が始まり、1952年12月に運転を始めた。東北大学の北垣敏男による機能分離型強収斂の提案がなされる、これにより理論上100億電子ボルト以上の出力が可能になった。1961年に完成したのが東京大学原子核研究所の7億eV電子シンクロトロン。電子シンクロトロンは1966年には13億eVに到達。1971年に高エネルギー物理学研究所(KEK、現・高エネルギー加速器研究機構)発足、陽子シンクロトロン建設開始。そして1976年、120億eVの陽子シンクロトロンが完成。




http://www.kek.jp/ja/NewsRoom/Release/20130321140000/
J-PARCで世界最大のパルス中性子ビーム強度を達成

加速器で陽子を100万分の1秒という短い時間に集中させ、これを間欠的に生成させ、さらに1億電子ボルト以上の高エネルギーに加速する。この陽子を、水銀、鉛、タングステン、タンタル、ウラン等の標的に入射させると、標的の原子核が粉々になり、多数の陽子や中性子が放出される(核破砕反応)。


http://mobile.twitter.com/jhatajinan/status/226411105981956097

ハタ次男
日本における核開発の第一人者、仁科教授が開発したサイクロトロンは陽子ビームを加速させ、擬似中性子をつくり上げるもので、おそらく、ウラン238に擬似中性子をぶつけて、プルトニウム239を生成することも可能だったはずだ



ナノテク(加速器)の始まりは、原子核分裂=核兵器。

リニアコライダーなるものは、その核の衝突で得られるエネルギーをより圧縮させ膨大なエネルギーに変えようってもの。

陽子を使うってのは、ハタ次男サンのツイートで、分かりますね。

KEKと日本原子力研究開発機構との共同プロジェクトである「J-PARC」は、大型陽子加速器施設。



んで、電子加速器は、、
http://ja.wikipedia.org/wiki/KEKB%E5%8A%A0%E9%80%9F%E5%99%A8
KEKB(ケックビー[1])とは、高エネルギー加速器研究機構(KEK)に設置されている電子・陽電子衝突加速器。衝突部にはベル測定器が置かれ、CP対称性の破れの研究が行われている。 B中間子が大量に生成されることからBファクトリーとも呼ばれる。



X線とか。
後でチラっと。


KEK
http://ja.wikipedia.org/wiki/KEK
高エネルギー加速器研究機構(こうエネルギーかそくきけんきゅうきこう)は、高エネルギー物理学・加速器科学・物質構造科学などの総合研究機関として、国立大学法人法により設置された大学共同利用機関法人。

英称は High Energy Accelerator Research Organization。略称は KEK(ケイ・イー・ケイ、又はケック。高エネルギー加速器研究機構のローマ字表記 Kō Enerugii Kasokuki Kenkyū Kikō の略。前身のひとつである高エネルギー物理学研究所のローマ字表記 Kō Enerugii Butsurigaku Kenkyūsho の略を引き継いでいる)。

人間文化研究機構、自然科学研究機構、情報・システム研究機構、宇宙航空研究開発機構と共に「総合研究大学院大学」を構成する。



インターネット創成期との関わり
前身の1つである高エネルギー物理学研究所は、1992年9月30日、日本で最初にWebサーバを公開した組織である





じゃ、理化学研究所(理研)の対なる存在、産業技術総合研究所(産総研)。
産業技術総合研究所は、2001年の中央省庁再編により、経産省から分離しました。




産業技術総合研究所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E6%8A%80%E8%A1%93%E7%B7%8F%E5%90%88%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
地質に関する研究成果は地質図・活断層図として公布されているほか、地震予知に役立てられており生活への関連が深い。


産総研には、↓↓↓

メタンハイドレート研究センター
http://unit.aist.go.jp/mhrc/index.html


ちきゅう号のデータは、ここにも勿論集まりますよね。
ちきゅう号の話が出てこないですけども。

 
地質分野
http://www.aist.go.jp/aist_j/field/5geology.html

地震系のプロフェッショナル的な。

土壌・地下水汚染のリスクを評価するシステム「GERAS-3」を公開
http://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2009/pr20090930/pr20090930.html

放射性物質の話をしなさい。



産業技術総合研究所 wiki

沿革
1882年、農商省地質調査所を設立
1891年、逓信省電務局電気試験所を設立
1890年、農商務省工業試験所を設立
1903年、中央度量衡器検定所を設立
1918年、農商務省大阪工業試験所を設立
1937年、商工省工務局機械試験所を設立
1948年、商工省工業技術庁を設立、4年後に工業技術院へ改称
1949年、商工省が通商産業省と改称し、所管試験所群は同省工業技術院傘下となる。
1952年、名古屋工業技術試験所を設立
1960年、北海道工業開発試験所(北海道札幌市)を設立
1964年、九州工業技術試験所(佐賀県鳥栖市)を設立
1967年、四国工業技術試験所(香川県高松市)および、東北工業技術試験所(宮城県仙台市)を設立
1970年、電気試験所を電子技術総合研究所(略称:電総研、英文略称:ETL(ElectroTechnical Laboratory))と改称し、在京試験所・研究所の筑波学園都市への移転準備開始。
1971年、中国工業技術試験所(広島県呉市)を設立
1980年、7つの在京試験所・研究所の筑波学園都市への移転が完了。
1993年、筑波研究学園都市に産業技術融合領域研究所を設立し、全国では工業技術院15研究所群となる。
2001年、1月に上記組織を経済産業省産業技術総合研究所(略称:産総研、英文略称:AIST)へ組織替えし、4月からは独立行政法人産業技術総合研究所を設立


電子技術総合研究所 沿革
http://www.aist.go.jp/ETL/jp/gen-info/history/index.html
電子技術総合研究所は,電気・電信に関する試験研究を目的として,明治24年(1891年)に逓信省電務局電気試験所として設立されました。以来今日まで,下表に示す幾多の組織の変遷がありました。
 明治42年(1909年)には電力に関する試験研究を開始し,電力技術の基礎を築くと共に電気単位の設定・維持など国家標準の業務を開始しました。

 また,電気通信部門を分離した後の昭和27年(1952年)には物理部を,昭和29年(1954年)には電子部を創設し,エレクトロニクスとその基礎に関する研究を強力に推進することになりました。

 さらに昭和31年(1956年)には世界初のプログラム内蔵方式トランジスタ・コンピユータを開発するなど今日の情報処理技術の基礎を固めました。

昭和45年(1970年)には大幅な機構改革と共に電子技術総合研究所と改称し,昭和54年(1979年)には田無,永田町,木挽町に分散していた在京研究所を統合して筑波研究学園都市に移転しました。




理事・監事
http://www.aist.go.jp/aist_j/information/director/director_main.html#director_ichimura


現理事長、野間口有  は、元三菱電機会長。

略歴

1965年3月 京都大学大学院理学研究科修士課程修了
1965年4月 三菱電機株式会社に入社
1975年3月 工学博士
1991年12月 材料デバイス研究所長
1993年6月 中央研究所長
1994年6月 情報システム研究所長
1995年6月 取締役 情報技術総合研究所長
1997年6月 常務取締役 開発本部長
2001年4月 代表取締役 専務取締役 インフォメーションシステム事業推進本部長
2002年4月 代表取締役 取締役社長
2006年4月 取締役会長
2009年4月 独立行政法人産業技術総合研究所理事長に就任







日本防衛装備工業会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%98%B2%E8%A1%9B%E8%A3%85%E5%82%99%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E4%BC%9A

11代会長 野間口有


防衛装備品等の製造及び修理に携わる主要企業の多くが加入している。前身は昭和26年(1951年)創設の株式会社日本技術生産協力会であり、昭和27年(1952年)兵器生産協力会への改組、翌昭和28年(1953年)、日本兵器工業会(略称:兵工会)への改称の後、昭和63年(1988年)、日本兵器工業会の解散と同時に社団法人日本防衛装備工業会が設立され現在に至る。組織は業務連絡委員会・事務局のほか各部会(銃砲部会・誘導武器部会・弾火薬部会・車両部会・電子部会・水中武器部会・艦艇兵装部会・艦船搭載武器部会・哨戒機武器部会・航空機搭載武器部会・材料部会)に分かれている[1]。

[編集] 沿革
1951年10月24日 - 株式会社日本技術生産協力会創立
1952年7月1日 - 日本技術生産協力会解散、兵器生産協力会設立
1953年10月23日 - 日本兵器工業会と改称
1988年9月16日 - 日本兵器工業会解散、社団法人日本防衛装備工業会が設立。
2009年7月7日 - 東京都新宿区舟町に移転



安全保障と防衛力に関する懇談会説明資料(日本防衛装備工業会) 2009年3月26日
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ampobouei2/dai6/siryou4.pdf



↑北朝鮮(笑)のアナウンサー口調でどうぞw
ワロエネーですけども。。


一般社団法人日本防衛装備工業会
http://www.jadi.or.jp/sosiki/yakuin.htm


平成24年8月1日現在
会  長  佐藤 育男  非常勤  
副 会 長  斎藤 保   非常勤  
副 会 長  野路 國夫  非常勤  
副 会 長  間塚 道義  非常勤  
理 事 長  堤 富男  非常勤  通商産業省 事務次官
専務理事  太田 洋次  常  勤 防衛庁 調達実施本部長
常任理事  石井 潔   非常勤  
常任理事  藤原 健嗣  非常勤  
常任理事  吉田 貴信  非常勤  
常任理事  小島 俊文  非常勤  
常任理事  福永 健治  非常勤  
常任理事  西舘 誠   非常勤  
常任理事  西村 知典  非常勤  
常任理事  田中 幸二  非常勤  
常任理事  坂野 和秀  非常勤  
常任理事  岩崎* 啓一郎 非常勤  
常任理事  清水 敏夫  非常勤  
常任理事  竹田 凱光  非常勤 陸上自衛隊 需品補給処長
常任理事 鈴木 善勝  非常勤 陸上自衛隊 九州地区補給処長

理 事  山口 央 非常勤  
理 事  藺森 成輝 非常勤  
理 事  窪田 充利 非常勤  
理 事  松田 彰雄 非常勤  
理 事  矢島 勝彌 非常勤  
理 事  中村 裕  非常勤  
理 事  谷口 勝彦 非常勤  
理 事  宮崎 鉄三 非常勤  
理 事  神津 善三朗 非常勤  
理 事  町田 秀樹 非常勤  
理 事  井川 祐三 非常勤  
理 事  小西 周志 非常勤  
理 事  横田 貢  非常勤  
理 事  中村 聡 非常勤  
理 事  永野 尚  非常勤  
理 事  下垣 慶紀 非常勤  
理 事  深田 雅敏 非常勤  
理 事  千葉 浩司 非常勤  
監 事  澤口 茂之 非常勤  
監 事  三廻部 茂 非常勤



「歴代会長」
初 代 稲葉 興作 石川島播磨重工業(株) 社長 S63. 9. 16
第 2代 大庭 浩 川崎重工業(株) 社長  H 2. 6. 1
第 3代 飯田 庸太郎 三菱重工業(株) 会長 H 4. 6. 1
第 4代 北岡 隆 三菱電機(株) 社長 H 6. 6. 1
第 5代 佐藤 文夫 (株)東芝 会長 H 8. 6. 1
第 6代 大西 敬三 (株) 日本製鋼所 社長 H10. 6. 1
第 7代 増田 信行 三菱重工業(株) 会長 H12. 6. 1
第 8代 佐々木 元 日本電気(株) 会長 H14. 6. 1
第 9代 伊藤 源嗣 石川島播磨重工業(株) 社長 H16. 6. 1
第10代 田ア 雅元 川崎重工業(株) 会長 H18. 6. 1
第11代 野間口 有 三菱電機(株) 会長 H20. 6. 1
第12代 西田 厚聰 (株)東芝 会長 H22. 6. 1
第13代 佐藤 育男 (株)日本製鋼所 社長 H24. 5. 24





「旧・日本兵器工業会 歴代会長」

初  代 郷古 潔 S27. 7. 1
第 2代 石塚 粂蔵 (株) 日本製鋼所  会長 S35. 5. 10
第 3代 河野 文彦 三菱重工(株)  社長 S37. 10. 23
第 4代 柳 武 (株)日本製鋼所  社長 S40. 5. 19
小林 佐三郎 (株)日本製鋼所  社長 S40. 12. 10
第 5代 荒牧 寅雄 いすヾ自動車(株)  副社長 S42. 5. 26
第 6代 大久保 謙 三菱電機(株)  社長 S44. 5. 28
第 7代 玉置 敬三 東京芝浦電気(株)  副社長 S46. 5. 27
第 8代 四本 潔 川崎重工業(株)  社長 S48. 5. 28
第 9代 土屋 義夫 ダイキン工業(株)  会長 S50. 5. 26
第10代 荒牧 寅雄 いすヾ自動車(株)  会長 S52. 5. 25
第11代 棚次 富王 東京芝浦電気(株)  副社長 S54. 5. 25
第12代 舘野 万吉 (株)日本製鋼所  社長 S56. 5. 22
第13代 梅田 善司 川崎重工業(株)  会長 S58. 5. 31
第14代 関本 忠弘 日本電気(株)  会長 S60. 5. 28
第15代 稲葉 興作 石川島播磨重工業(株)  社長 S62. 5. 29


「正会員名簿」

株式会社IHI
株式会社IHIエアロスペース
株式会社アイ・エイチ・アイマリンユナイテッド
旭化成株式会社
旭精機工業株式会社
イーグル工業株式会社
池上通信機株式会社
株式会社石川製作所
いすゞ自動車株式会社
株式会社エイリイ・エンジニアリング
エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社
株式会社NTTデータ
NECネットワーク・センサ株式会社
株式会社エム・エル・エス
株式会社エム・シー・シー
エムエイチアイオーシャニクス株式会社
株式会社エムエイチアイロジテック
応用地質株式会社
大川工業株式会社
株式会社大原鉄工所
株式会社オキシーテック
沖電気工業株式会社
海洋電子工業株式会社
川崎重工業株式会社
関東航空計器株式会社
株式会社北澤電機製作所
株式会社光電製作所
株式会社神戸製鋼所
興研株式会社
興和株式会社
株式会社小松製作所
コマツ特機株式会社
佐世保重工業株式会社
三波工業株式会社
株式会社シー・キューブド・アイ・システムズ
株式会社ジーエイチクラフト
ジェイ・アール・シー特機株式会社
株式会社重松製作所
静岡沖電気株式会社
島田理化工業株式会社
株式会社島津製作所
株式会社ジョイント・システムズ・サービス
株式会社湘南精機
昭和金属工業株式会社
昭和飛行機工業株式会社
新日本製鐵株式会社
新日本無線株式会社
新明和工業株式会社
住重特機サービス株式会社
住友重機械工業株式会社
ダイキン工業株式会社
株式会社ダイセル
ダイトロンテクノロジー株式会社
大同特殊鋼株式会社
太洋無線株式会社
多摩川精機株式会社
株式会社タムラ製作所
中国化薬株式会社
株式会社鶴見精機
株式会社テクノイケガミ
電気興業株式会社
東京計器株式会社
東京航空計器株式会社
株式会社東芝
東芝電波プロダクツ株式会社
東洋精機株式会社
東洋紡績株式会社
株式会社トプコン
トヨタ自動車株式会社
中島硝子工業株式会社
長野日本無線株式会社
株式会社ニコン
日油株式会社
日油技研工業株式会社
日興技化株式会社
日鋼特機株式会社
株式会社日鉄エレックス
日本アビオニクス株式会社
日本工機株式会社
日本電気株式会社
日本電気航空宇宙システム株式会社
日本飛行機株式会社
日本航空電子工業株式会社
株式会社日本製鋼所
株式会社日本セラテック
日本無線株式会社
株式会社ネットコムセック
ハイテクインター株式会社
函館どつく株式会社
パナソニックシステムソリューションズジャパン株式会社
株式会社日立アドバンストシステムズ
株式会社日立国際電気
株式会社日立国際電気エンジニアリング
日立情報通信エンジニアリング株式会社
株式会社日立製作所
株式会社日立プラントテクノロジー
株式会社日之出工業所
株式会社廣瀬商会
株式会社フジクラ
藤倉航装株式会社
富士重工業株式会社
富士通株式会社
富士通特機システム株式会社
富士電機株式会社
古河電気工業株式会社
古野電気株式会社
豊和工業株式会社
細谷火工株式会社
北海道日油株式会社
三井造船株式会社
三菱自動車工業株式会社
三菱重工業株式会社
三菱スペース・ソフトウエア株式会社
三菱電機株式会社
三菱電機特機システム株式会社
三菱プレシジョン株式会社
ミネベア株式会社
明星電気株式会社
明陽電機株式会社
ヤマハ発動機株式会社
ユニバーサル造船株式会社
ユニバーサル特機株式会社
洋エンジニアリング株式会社
横河電機株式会社
横河電子機器株式会社
横浜ゴム株式会社
リコーエレメックス株式会社
菱重特殊車両サービス株式会社
渡辺鉄工株式会社




う〜む。
とりあえず、会長ポストの企業は、順番が決まってるんだね。



でわ、産総研の加速器関係を。

産総研の理事長は、元三菱電機会長で、今名誉相談役でムナクソ悪いニホン防衛工業装備工業会元会長の野間口有ですが。

まぁ、三菱電機、三菱重工と張り切っております。


三菱電機  小型電子加速器
http://www.mitsubishielectric.co.jp/news/2008/0828-a.html

地下に潜る現場に最適w
じゃなくて、エネルギー量と、マイクロ波。
マイクロ波っつーと、電子レンジくらいしか連想出来ないが。
マイクロ加熱なんて呼ばれるが、アレは、ただの分子破壊。
その破壊の熱でもって、あったかくなるわけで、ビタミンとかって何?って話だが。
電子誘導装置なんてのも、そこらじゅうにある。

で、このプレスリリースは、2007年。
散々に軍事で利用された後ですな。
レーダー探知なんてのもこれらの仲間のような気がするし。
あと、電磁場結界なんてのを妄想w


三菱重工 巨大な精密装置「加速器」
http://www.mhi.co.jp/discover/graph/feature/no169.html


電子加速器、X線は、バイオテクとの連携が多いような感じを受けます。


日経バイオテク
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20130319/166927/

イロイロふ〜ん(笑)
3月19日で、3月20日午前0時に流しですか。
否が応でも繋がってくるから首を洗って待っとけ、キチガイ。





核から始まる加速器。
動きを見せた時期。

2003年に文科省傘下に入り、大日本帝国陸軍と関係の深い理研の施設、KEK(高エネルギー物理学研究所)の発足が1971年。

2001年に経産省から分離し地質から始まり、メタンハイドレード(地震)な産総研。
こちらもよく似た時期(1970年)に、動いている。
電気試験所を電子技術総合研究所と変え、つくば研究都市に大引越しをしている。

KEKと日本原子力研究開発機構との共同プロジェクトである「J-PARC」は、大型陽子加速器施設。
核開発、核燃料サイクル施設で、いいです。

そのKEKは、ニホンで初のWebサーバーを公開し、ネットの創成期と関わりが深い。
産総研の前身の一部の電子技術総合研究所は、ニホン初のトランジスタコンピューターを。
情報処理技術、ニホンでのPCの始まり。

加速器は、三菱のオンパレード。
1970年辺りの日本防衛装備工業会の会長は、三菱と東芝。


○通産省(経産省) 資源派 石油と核とニクソンショック
http://desuperado.seesaa.net/article/346359916.html?1363964464

自由貿易(米金融屋のいいなり)の通産省から日本石油に天下った 今井 善衛。
1965年に日本石油化学に天下りし、1970年に古河化学を吸収合併。
この1965年〜1970年だと、日本の石油化学企業群は、劣化ウランの輸入と使用を行っていた時ですね。ブタンガスが何とかと言って。。
で、1971年に為替変動性に移行する(金とドルの交換の停止)。
そして、石油の決算をドル建てに変えた。
ニクソンショック。
そして、2年後の第四次中東戦争、オイルショック。

1971年に銀行屋の銀行屋による銀行屋の為の銀行救済法である預金保険法が制定している。



ニホンの宗教ウヨクは、為替変動性への以降をあらかじめ知っている動きですね。
(ダボス会議なんて形だけ)

預金保険法なんて、そのまんまだし、劣化ウランの輸入は、新しいエネルギー資源という名目(オイルショックが分かっていたからこその石油化学)で購入している動きです。

そして、核燃料サイクル(燃えないウランとプルトムニム、MOX)も始まっている。
(ふげんは、重水を使い、過程でトリチウムが出来る。水爆燃料サイクル構想ですね。)
隠れ核武装が蠢いてるのが分かります。

それにゴミ利権である環境庁、産業廃棄物ですね。
核の捨て場と核のサイクルの確保。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

資源派(国際派)の今井善衛は、通産省の事務次官に登り詰め、日本石油に天下りをしていたその時に、
今井の弟は、自衛隊で第1護衛隊群の司令〜第1潜水隊群の司令になっています。
じゃ、人工地震を起こしてるって船長が言ってたwちきゅう号へw
ちきゅう号を持つ、JAMSTEC(独立行政法人 海洋開発研究機構)の
始まりも1970年。



まぁ、この時代は、地下核実験って奴がメインになってくるなっていた時代です。

「追記」
核実験の激しい1958年、静かな1959年、最も多い1962年。
地下核実験メインは、ここいらで切り替わってますね。
間違えましたw


はい。



↑で書いたトコロには、情報の交差点が山ほどあります。
が、その前に、そろそろドローンの話を。
ここをチンタラ眺めないと詰まってくるように思いますので。




無人航空機(ドローン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E4%BA%BA%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F
軍用機 [編集
無人の航空機を遠隔操縦するという発想は既に第一次世界大戦中からあり、第二次世界大戦時から研究が本格化した。当初はケタリング・バグのような飛行爆弾に近い攻撃用途での研究が多かったが、完全な無人作戦機として使えるものが実用化されることはなかった。

例えば1944年には、アメリカ陸軍が強固に防御されたV1飛行爆弾発射施設などを破壊するため、B-17爆撃機を無人機に改造し高性能炸薬を積み込んで体当たりさせるという「アフロディーテ作戦」を立案していた。改造されたB-17はBQ-7と呼ばれ、不要な装備を全て外し、コックピットにテレビカメラを計器盤と外を見るための計2台を設置して無線操縦できるようにされていた。しかし炸薬の安全装置解除が遠隔操作ではできないなどの問題があったため、パイロットと航空機関士が搭乗して離陸を行い、イギリス領空内で誘導母機と合流し炸薬の安全装置を解除してから脱出するという無人機としてはまだ不完全なものだった。BQ-7は1944年4月から攻撃任務に投入されたものの、当時の技術的な問題から途中で操縦不能に陥り墜落してしまうことが多く、攻撃は一度も成功しなかった。その後ノルマンディー上陸成功により目標となる施設の地上制圧が可能になったこともあり、1945年に作戦は中止された。この作戦にはアメリカ海軍も便乗しており、改造する機体をPB4Y-1に変更して行っていた。1944年8月12日の初攻撃任務にはジョン・F・ケネディの兄ジョセフ・P・ケネディ・ジュニアがPB4Y-1のパイロットとして参加していたが、脱出前に機体が原因不明の爆発を起こし戦死した。これを最後に海軍では行われていない。

なお、無人機型B-17は戦後も運用されており、1946年に行われた核実験「クロスロード作戦」では新型の無線操縦装置を取り付けたQB-17が核爆発後の降下物測定に使用された。

戦後、軍用での無人機として広く普及したものは「ターゲット・ドローン」と呼ばれる標的機で、例えばアメリカ空軍では1950年代にBQM-34 ファイヤービーのような高速飛行するジェット推進式の標的機を配備して、標的機の他にも試験的ながら攻撃用途での開発の先鞭が付けられた。ファイヤービーはパラシュートによる回収方法が採用されたが、アメリカ海軍では無線操縦式のヘリコプターであるQH-50 DASHにより、海上を飛行して魚雷を投下する用途で1960年代に開発配備した。

1970年頃から無線機の小型化や電子誘導装置が発達したことにより、写真偵察などを目的とする無人偵察機がアメリカやイスラエルで本格的に開発開始された。20世紀末からはさらなる画像電子機器や通信機器、コンピュータの発達により、リアルタイムでの操縦と偵察映像の入手、完全自動操縦などが可能となり、21世紀からは偵察型から攻撃機型への展開が行われた[2]。2010年度の米国防予算案では、4軍合計で無人機への予算を38億ドル要求し、1,297機の購入を見込んでいる。2009年度は1,071機の購入だった。また、高高度を飛行することで通信中継点となる軍用無人航空機の研究も進められている。

衛星との双方向の通信によってリアルタイムの操縦が行える高性能な機体では、地上側にパイロット席に相当する移動式の操縦ステーションが設置、これと軍用無人機とが組み合わされ、全体が1つのシステムとして機能するものも現れている。

無人ステルス機の研究も進められている。RQ-3 ダークスターやX-47のような実験機を経て、RQ-170センチネルが実戦に参加していると推測される。ただし、機密が多く詳細は明らかではない。また、無人制空戦闘機といった計画も知られていない。

アメリカ軍では無人機の操縦者のうち7人に1人は民間人 (民間軍事会社) だが、アメリカ軍の交戦規定により攻撃は軍人が担当している


無人航空機一覧 [編集]
アメリカ合衆国
OQ-19 Radioplane BTT
TDN-1
QH-50 DASH
BQM-74 チャカ
BQM-34 ファイヤービー
MQ-1 プレデター
MQ-1C グレイイーグル
RQ-2 パイオニア
RQ-3 ダークスター
RQ-4 グローバルホーク
RQ-5 ハンター
RQ-6 アウトライダー
RQ-7 シャドー
MQ-8 ファイアスカウト
MQ-9 リーパー
CQ-10 スノーグース
RQ-11 レイヴン
RQ-14 ドラゴンアイ
RQ-15 ネプチューン
RQ-16 タランチュラホーク
XMQ-17
A160 ハミングバード(YMQ-18)
YRQ-19
RQ-20 / ピューマ AE
RQ-21
RQ-170 センチネル
ポールキャット
X-45
ファントム・レイ
X-47 ペガサス
サイファー
スキャンイーグル(英語版)
ベル イーグル・アイ
アヴェンジャー
イギリス
コラックス
マンティス
HERTI
タラニス


イスラエル
IMI マスティフ
トップ I ビジョン キャスパー
トップ I ビジョン エアロスタット
シルバーアロー マイクロ-V
シルバーアロー スナイパー
IAI バードアイ
IAI スカイラーク
IAI スカウト
IAI サーチャー
IAI ジェネラル
IAI ハーピー
IAI ハロップ
IAI I-ビュー
IAI レンジャー
IAI ヘロン
IAI エイタン
エルビット スカイラーク
エルビット ヘルメス250
エアロノーティクス ドミネーター
エアロノーティクス オービター
エアロノーティクス エアロスター
エアロノーティクス エアロライト
EMIT ブルー・ホライソン
EMIT スパロー
EMIT バタフライ
カナダ
Canadair CL-227 Sentinel
ソビエト連邦 / ロシア
La-17
Tu-123
Tu-141
Tu-143
プチェラ
421-08
421-06
421-12
スカート
中国
暗剣
WZ-2000 千里眼
ASN-104/105
ASN-206/207
翼龍
ドイツ
Luna X 2000
トルコ
Malazgirt
日本
無人標的機UF-104J/JA
無人標的機 J/AQM-1
遠隔操縦観測システム(FFOS)
多用途小型無人機(TACOM)
携帯型飛行体[21]
GPSカメラ搭載自律飛行機
無人航空機用制御装置
フランス
SAGEM Sperwer
メキシコ
エヘカトル
国際共同開発
nEUROn
バラクーダ







コンピューターの発達と衛星。





集積回路(IC)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E7%A9%8D%E5%9B%9E%E8%B7%AF
歴史
[編集] 集積回路の誕生
実際に集積回路を考案したのはレーダー科学者ジェフリー・ダマー(英語版)(1909年生まれ)であった。彼は英国国防省の王立レーダー施設で働き、1952年5月7日ワシントンD.C.でそのアイデアを公表した。しかし、ダマーは1956年、そのような回路を作ることに失敗した。

最初の実際の集積回路は2人の科学者が別々に製作した。テキサス・インスツルメンツのジャック・キルビーはゲルマニウムでできた「英: solid circuit」に関する特許を1959年2月6日に出願し、キルビー側は1964年6月に付与された[3]。一方フェアチャイルドセミコンダクターのロバート・ノイスはシリコンでできたより複雑な「英: unitary circuit」に関する特許を1961年4月25日に与えられた。

この2社は特許優先権委員会においてどちらの特許が有効であるかを争った。争点となったのは、キルビーの特許において集積回路内の各素子をつないでいた配線である。キルビー特許では、素子をつなぐ配線はゲルマニウム基板から浮いて空中を飛んでいたのである。一方ノイスの特許では配線はシリコン基板上にプリントされており、現在の集積回路と同じ構造だった。この争いはキルビーの特許出願から10年10か月を経て決着し、ノイスの勝利が確定した。しかし、その勝利はすでにほとんど意味がなかった。1966年、テキサス・インスツルメンツ(米国)とフェアチャイルドセミコンダクターを含む十数社のエレクトロニクス企業が集積回路のライセンス供与について合意に達していたからである。

キルビーとノイスは後に、ともに国民栄誉賞を受け、同時に全米発明家の栄誉の殿堂入りをした。

SSI、MSI、LSI
SSI、MSI、LSI というのは、集積する素子の数によってICを分類定義[要出典]したもので、「MSI IC」のようにも言うものであるが、今日ではほぼ使われず、ふつう、比較的小規模のものを単にIC、比較的大規模のものを単にLSIとしている。

初期の集積回路はごくわずかなトランジスタを集積したものであった。これをSSIと呼ぶ。SSI[4]は航空宇宙分野のプロジェクトで珍重され、それによって発展した。ミニットマンミサイルとアポロ計画は慣性航法用計算機として軽量のデジタルコンピュータを必要としていた。アポロ誘導コンピュータは集積回路技術を進化させるのに寄与し、ミニットマンミサイルは量産化技術の向上に寄与した。これらの計画が1960年から1963年まで生産されたICをほぼ全て買い取った。これにより製造技術が向上したために製品価格が40分の1になり、それ以外の需要が生まれてくることになった。

民生品として大量のICの需要を発生させたのは電卓だった。コンピュータ(メインフレーム)でのICの採用は、System/360では単体のトランジスタをモジュールに集積したハイブリッド集積回路(IBMはSLTと呼んだ)にとどまり、モノリシック集積回路の採用はSystem/370からであった。

次の段階のMSI[5]は1960年代終盤に[要出典]登場した。SSIに比較して価格は高いものの、より複雑なシステムを生産する際に回路基板を小さくして組み立てコストを低減するなど数々の利点が魅力となった。そのような経済的利点によりさらにLSI[6]が1970年代中盤[要出典]に開発される。LSIはコンピュータのメインメモリや電卓の部品として大量生産されるようになった。


アポロ誘導コンピュータ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD%E8%AA%98%E5%B0%8E%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF

あのハリウッド撮影の月面着陸(大笑)とミニットマンミサイルの為に1960年から1963年まで生産されたICをほぼ全て買い取った。


ミニットマン (ミサイル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3_(%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB)

アメリカ空軍における最初の本格的な固体燃料ロケットエンジンを搭載した量産型ICBMで、3段式ロケットによって最大速度24,000 km/hを誇る。一時は爆撃機系統の記号としてB-80が付けられていた。

アメリカ空軍で運用されている大陸間弾道ミサイルであり、戦略爆撃機およびアメリカ海軍の潜水艦発射弾道ミサイルと並び、戦略核攻撃能力を担っている。

冷戦の終結・核軍縮などにより、後継となるはずであったピースキーパーが2005年に退役した。そのため、1950年代に開発が開始された古いミサイルであるが、2009年時点でも配備・運用が続けられ、少なくとも2020年頃までは運用される計画である



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



タイタンII型と並び1960年代から1980年代に至る戦略航空軍団(SAC)のミサイル部隊の主力兵器として用いられていた。1990年代に退役する予定であったが、ミニットマンを置き替えるために開発されたピースキーパーが第一次戦略兵器削減条約やモスクワ条約によって2005年に退役したため、現在にいたるもなお現役に留まり、ワイオミング州、ノースダコタ州、モンタナ州等北中部の空軍基地にあるミサイルサイロに配備されている。アメリカで現役の地上発射ICBMはミニットマンの最終型であるミニットマンIIIのみであり、アメリカ空軍は少なくとも2020年までミニットマンIIIを作戦配備に留める予定である。ピースキーパーから降ろされたW87弾頭はミニットマンIIIに1基ずつ再搭載され、単弾頭ミサイルとして運用される。

配備期間 1962年 (ミニットマン I),
1965年 (ミニットマン II),
1970年 (ミニットマン III)
配備先 アメリカ合衆国







ワケのワカランところを見てきて、またまたよく理解が乏しいICに突入ですw
まぁ、マサチューセッツ辺りを覗く事になるんだろうけど。


今、水面下で起きている事に繋げるには、まだまだ追いつけねーなー。。。 
posted by デスペラード at 01:32| Comment(1) | TrackBack(0) | いろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「「木に学べ」法隆寺・薬師寺の美 西岡常一」
近江聖人のお話が出ましたのでhttp://iiyama16.blog.fc2.com/?no=4029
私も鵤の聖人聖徳太子の心を1500年後のいま現代に伝えてくださった匠のお話をご紹介したく思いました。
タイトルの本は1987年「BE-PAL」誌上に連載されたエッセイ形式を1988年3月小学館ライブラリーとして刊行されたものです。
最後の寺社大工棟梁鵤之郷大工西岡常一氏の「あとがき」を全文転載します。(誤字校正済)

 田舎大工の口から出放題の戯言を、「BE-PAL」誌上に区切りよく連載して下さった白井康介さん、今また、その連載を一冊の本にお纏め下さった石塚郁雄さん、其の他のスタッフの皆々様に深く御礼申し上げます。
 学者への不用意な放言も、歯に衣を着せて上手にお纏め下さったことに感心いたします。私は、学問を軽んずるような心は毛頭もっておりませんが、よく考えてみて下さい。科学知識は日進月歩で、今日の正論は明日の正論では有り得ないのではないでしょうか。今日をもって千年後の建築の命を証明出来ないのではないかと思います。千年どころか、明日をも律し得ないのが科学知識の天気予報やありませんか。
 それはなんでかと言うたら、科学はまだまだ未完成やからだっしゃろ。未完成の今日の科学で総てを律しようと考えがちなのが、学者さん方やおまへんやろか。科学知識のない我々工人の言い分にも耳を傾けるような学者さんこそ、ほんとうの学者やと思いまんな。
 私どもの、仕事に対する考え方や思い入れは、神代以来の体験の上に体験を重ねた伝統というものをしっかり踏まえて、仕事に打ち込んでますのやがな。例えば、法隆寺伝統の大工には口伝というものがありますのやが、その中の一つに「堂組の木組は寸法で組まずに、木の癖を組め」と言うのがありますけど、どんな建築の本を読んでも、こんな言葉にはお目にかかりまへんな。寸法や形式・様式には詳しいことですが、建物を造営する木の癖に触れた本には、いまだお目にかかっていまへん。それは私の本を読む範囲がせまいのかも知れまへん。浅学のせいでっしゃろな。もっともっと勉強せなあかんとゆうことかいな。
 何れにしても、堂塔伽藍を造営するのには、様式や形式に先だって、造営の意義と言うものがありまんがな。例えば、法隆寺の場合には、英邁限りない聖徳太子が仏法の慈悲をもって国を治めようとなさったんやと思いますが、多くの仏法者を養成するための道場としての伽藍ですがな。薬師寺もまた、天武・持統の両帝が、仏法興隆治国平天下の大願をもってなされた大伽藍でっせ。仏法の慈悲ゆうたら、母が子を思う心だっせ。火事や地震やと火急の場合、自分の一身にかえても子を救おうとする、それが慈悲でんがな。
 世のお母さん方、自分の心の内をようよう振り返ってみて下され。ようわかるはずだすが。わからなんだら、法隆寺や薬師寺のような心構えで造営された、魂のこもる寺に、観光でなく心から参拝して祈ってみて下され。仏法こそが、世界を最後に救う法やと感得しますし、慈悲心で国を治めようとなさった太子や天武・持統の魂が、皆様方の心にも宿りまっせ。
 大工の喋ることやないことを喋りましたな。笑ってお許し下さい。
一九八七年十二月

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この本の他にも、NHKブックス318「法隆寺を支えた木」(西岡常一、小原二郎)と言う本で、西岡常一師の口伝を読むことが出来ます。
Posted by 通りがけ at 2013年03月24日 22:14
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