2013年03月14日

通産省(経産省) 資源派 石油と核とニクソンショック

自衛隊とJAXA
米軍(ペンタゴン)とNASA

ドローン(無人飛行機)は、これ(米軍(ペンタゴン)とNASA)を繋ぐ線(グレーゾーン)だと思ってるんですが。
最近、よく見るドローンnews。
本命か陽動かワカリマセンが。
ドローンと政治を絡めて見てる人があまりにも限定的なのが気になってます。

で、ソコまで行きたいんですけど、ルートを間違ってるかもしれませんw
まぁ、だとしても他のお勉強になるのでw

前回の続きだおw

○JAXA と よくある地震http://t.co/LXGFY71pR6






内田元亨 浴室で「突然死」 通産省4人組事件 地熱発電 フジタ 債務保証 大疑獄事件 ベクテル - Google 検索

誠天調書 2011年06月13日


http://www.google.co.jp/search?hl=ja&lr=lang_ja&safe=off&tbs=lr%3Alang_1ja&q=%E5%86%85%E7%94%B0%E5%85%83%E4%BA%A8%E3%80%80%E6%B5%B4%E5%AE%A4%E3%81%A7%E3%80%8C%E7%AA%81%E7%84%B6%E6%AD%BB%E3%80%8D%E3%80%80%E9%80%9A%E7%94%A3%E7%9C%814%E4%BA%BA%E7%B5%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%80%E5%9C%B0%E7%86%B1%E7%99%BA%E9%9B%BB%E3%80%80%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%80%80%E5%82%B5%E5%8B%99%E4%BF%9D%E8%A8%BC%E3%80%80%E5%A4%A7%E7%96%91%E7%8D%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%80%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%86%E3%83%AB&oq=%E5%86%85%E7%94%B0%E5%85%83%E4%BA%A8%E3%80%80%E6%B5%B4%E5%AE%A4%E3%81%A7%E3%80%8C%E7%AA%81%E7%84%B6%E6%AD%BB%E3%80%8D%E3%80%80%E9%80%9A%E7%94%A3%E7%9C%814%E4%BA%BA%E7%B5%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%80%E5%9C%B0%E7%86%B1%E7%99%BA%E9%9B%BB%E3%80%80%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%80%80%E5%82%B5%E5%8B%99%E4%BF%9D%E8%A8%BC%E3%80%80%E5%A4%A7%E7%96%91%E7%8D%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%80%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%86%E3%83%AB&aq=f&aqi=&aql=&gs_sm=e&gs_upl=46297l56453l0l58438l26l26l1l24l0l0l500l500l5-1l1



誠天調書 2011年05月10日: 東京電力会長の勝俣恒久に逆らうと 何が起きるのか?w
http://mkt5126.seesaa.net/article/200080911.html

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佐藤栄佐久前福島県知事の裁判 と 二つの事件「東電OL殺人事件」と「神戸連続児童殺傷事件」、その冤罪性の共通項。日本のエネルギー政策を左右する影。
http://www.asyura2.com/09/eg02/msg/155.html

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誠天調書 2011年06月11日: 「娚の一生」 西炯子 。  今だからこそ薦めたいマンガ。
http://mkt5126.seesaa.net/article/209059590.html

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誠天調書 2011年06月13日 96年に自宅浴室で「突然死」を遂げた内田元亨 と地熱発電とフジタとベクテル社
http://mkt5126.seesaa.net/article/209257811.html

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誠天調書 2011年06月30日: カルト組織「東京電力」、日本の象徴にして縮図そのもの。 独裁者 勝俣 恒久。
http://mkt5126.seesaa.net/article/212203602.html

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誠天調書 2011年07月15日: 東電や核テロリストの報復、それが核攻撃や放射能攻撃。
http://mkt5126.seesaa.net/article/214883527.html

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誠天調書 2011年07月22日 何故に渡邊泰子は消されたのか?死後も徹底的に貶められたのか?だって、彼女はタイミングによっては政治的な爆弾となる恐れがあったからね。
http://mkt5126.seesaa.net/article/216024133.html

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誠天調書: 2011年07月26日 京都議定書批准(2002. 5. 31 参院)と東電OL殺人事件(1997.3.19) の点と線
http://mkt5126.seesaa.net/article/216771494.html

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誠天調書 2011年08月12日: 東電企画部は闇の世界に関わるセクションである
http://mkt5126.seesaa.net/article/219778049.html

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誠天調書 2011年08月15日 東京地裁で無罪となった東電OL殺人事件のゴビンダ被告、へ対する“法も秩序もかなぐり捨てた”東京高裁の暴挙と村木保裕の無念
http://mkt5126.seesaa.net/article/220126035.html

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誠天調書 2011年08月24日 高橋亀吉賞の佳作を受賞した渡邊泰子の論文「国際協調は CI(カントリー・アイデンティフィケーション)で」
http://mkt5126.seesaa.net/article/221873709.html

 ↓

誠天調書 2011年09月26日: 竹崎博允 最高裁判所長官の意向に逆らう裁判官へは 如何なる天罰が下されるのか?
http://mkt5126.seesaa.net/article/227590680.html

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誠天調書 2009年11月16日: 襲名による最高裁判所長官の名跡が続く人事 が日本へ与える災厄
http://mkt5126.seesaa.net/article/133043442.html

誠天調書 2011年01月16日: 裁判所という組織は 極度に先鋭化したカルト集団そのもの そのカルト組織の長の竹崎博允最高裁判所長官と親密な関係に有るのが江田五月法務大臣
http://mkt5126.seesaa.net/article/180907759.html

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誠天調書 2011年09月29日 法治を完全に逸脱させてでも常軌を逸した支配統制する司法の世界は 歯向かう者へ徹底的な天罰を下す
http://mkt5126.seesaa.net/article/227982756.html

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http://mkt5126.seesaa.net/article/229713059.html
誠天調書 2011年10月10日 「東電OL事件と陸山会政治資金規正法事件に共通する構図」郷原信郎
http://www.comp-c.co.jp/pdf/111005.pdf



誠天調書 2012年09月25日: 西炯子「娚の一生」4巻。  東電OL殺人事件 東電女性社員殺人事件 の渡辺泰子への鎮魂歌、と俺は勝手に思い込む。
http://mkt5126.seesaa.net/article/294085085.html

誠天調書 2012年11月07日
俺が執拗に311直後からstuxnetや東電OL殺人事件の先を追い続ける訳は。
http://mkt5126.seesaa.net/article/300282071.html



通産省・国売り物語(1.2)
http://1234tora.fc2web.com/kuniuri1.htm
通産省・国売り物語(3.4)
http://1234tora.fc2web.com/kuniuri2.htm
通産省・国売り物語(5.6)
http://1234tora.fc2web.com/kuniuri3.htm
通産省分裂

 曲がりなりにも通産省が「押し売り拒否」の姿勢を示すようになった「大人の関係」の交渉のあたりからです、その変化が起こる直前、通産省で起こった大事件が「内藤局長罷免事件」でした。そのきっかけは93年の与党分裂・細川政権誕生で、棚橋氏と癒着していた自民党中枢が、彼と密接な梶山勢力と小沢系グループに分かれ、対立を深める中で、小沢グループに属する熊谷通産大臣や「四人組」と呼ばれる一部反棚橋派の官僚による棚橋氏に対する告発攻撃が行われたのです。

 批判されたのが、その選挙で政界進出した棚橋氏の長男に対する不透明な箔漬け人事でした。棚橋氏とともに、その後継者として次期次官就任が確実視されていた内藤正久氏が槍玉に上がり、棚橋氏は一時的に埼玉大学に逼塞し、内藤氏は熊谷通産大臣によって辞任を迫られます。省内では官僚の世界を守る「人事の独立性」を侵害されたとして、内藤氏に対する同情論が広がり、この事件を追った高杉良・佐高信氏も、徹底して内藤氏を持ち上げました。高杉氏の小説では棚橋泰文氏の「特進」は実質的昇進にはならないとして、四人組の「言いがかり」を強調していました。しかし実際は「七年飛び」とも言われる大幅な昇進であり、かなり露骨な意図があったことが伺われます。

 佐高氏は言います。「内藤氏は百年に1人の得難い人材」「国民にとってあらまほしき政策を行う人」と。実際、官僚の間での人気はかなりのものがあったようです。お歳暮も送り返すという内藤氏の私生活での生真面目さと、棚橋氏の部下として、溢れる利権をもたらした功績、特に巨額の予算をもたらした「新社会資本」の立案は、官僚達にとって絶賛の的だったそうですが、果たしてこの巨額支出が日本にとって本当にプラスの意味を持つかどうかは、現在の巨額累積赤字が雄弁に物語る筈です。

 しかし、この事件で棚橋氏の影響力が一時的に逼塞した事で、省内の流れは大きく変わったのです。さらなる延長を要求するアメリカに対して、細川首相の元で断固延長拒否。翌年2月の交渉決裂・・・、所謂「大人の関係」の宣言。

 その後、村山内閣登場・自民党の与党への復権とともに内藤氏は名誉回復し、棚橋氏も石油公団総裁へ大型天下りにありつく段取りが出来上がります。しかし、泉井疑惑の浮上とともに、再び泉井被告から長男の選挙資金を受け取ったとして批判され、石油公団総裁の話も流れます。その後も四人組勢力の絡んだ権力抗争の中で、反棚橋派は排除されていきました。そして棚橋氏は、今なお隠然たる権力を握り、最近も某石油会社が彼を重役に迎えたのは、彼の権力を期待しての事というのは常識です。

 佐高氏が言うには、通産省には「国内派」と「資源派」が存在し、規制によって国内企業の保護を主張する統制派と、規制緩和を主張する資源派の対立に由来したと主張しています。しかし実際には、四人組の背後にいたとされる児玉幸治氏は元々棚橋氏の盟友であり、四人組の1人である細川恒氏も資源派です。

内藤氏は、70年代に通産を掌握した「資源派」の創始者である両角氏の直系で、エチレン不況の時にカルテル作りを主導した縁で、石油業界に絶大な影響力を持ったといいます。ジェトロのニューヨーク支局にいた時代にアメリカの民主党議員(半導体摩擦の拡大に大きな役割を果たした)との太いパイプを持ち、日米摩擦の舞台裏で暗躍したのは有名だそうです。それがどういう暗躍だったかは解りませんが、彼の通産内部での絶大な支持を考えると、例えば、「外圧受け入れ」に向けての省内説得に当るとしたら、そうした人物こそ最適任と言えるでしょう。

 佐高氏が「改革派として経済統制に拘る勢力から排除された」かの如き希望の星として持ち上げましたが、こうした見方がいかに偏ったものであるかは、彼が棚橋氏の元で行った全国・全産業的な輸入品購買促進政策こそ、「経済統制を目的とした圧力迎合」の意図を持った半導体押し売り摩擦の延長に過ぎない事実を見れば明らかではないでしょうか。事実、佐原氏が内藤罷免事件を詳しく取り上げた「新日本官僚白書」には、もう一人の当事者である棚橋氏の存在が全く無視されているのです。

 つまるところ、「内藤事件」は、通産省を支配した外圧迎合派の内ゲバに過ぎないのです。四人組の背後に存在するもう一人の影として、内田元享氏という人物がいました。通産省内に根強い人脈を張るOBで、「わざ」という企業を経営して省内人脈を利用して地熱開発などで堅固な利権を握り、その資金力で四人組の運動を動かしていたのだそうです。

彼はそのために、建築摩擦で(レーガン政権との癒着で)悪名高いベクテル社の代理人を務め、他にも多様なアメリカ企業の対日進出をコンサルティングしていた・・・と言いますから、まさに「資源派(国際派)」の影の大物として、外圧迎合運動にも大きな役割を果たした事は間違いありません。内田氏は四人組事件の余波の続く96年12月に病死しましたが、そのその影の人脈は、それにまつわるスキャンダルが表に出れば通産省は完全に崩壊すると言われるほど、激しいものでした。そしてその思想的には「産業を盛んにして輸出で稼ぐ時代は終わった」と、住宅産業に手を出したように、佐原氏が絶賛した内藤氏の主張などは、要するに内田氏の受け売りなのです。言わば彼も棚橋氏などの盟友だったのです。

  結局、通産省で内藤事件後、目が覚めたように外圧への抵抗を始め、20世紀の残り数年をかけて、押し売り協定を一応終わらせたのは、四人組でも棚橋派でもない人達だったのです。佐原氏によれば、四人組事件後の省内抗争の主役は徹底追放派対融和派でした。そして、後の日米摩擦、たとえば96年の自動車協議などでも省内の主流が外圧拒否を主張する中で、少なからぬ勢力が妥協を主張したとのことで、その妥協派こそ、棚橋氏直系グループ・・・つまり対四人組強硬派である事は間違い無いでしょう。

そして、四人組の勢力が完全に駆逐された現在、折角消滅した「包括経済協議」が、事もあろうに通産省内から言い出して復活したのです。勿論、外圧反対派は「押し売り」の復活を強く警戒していますが、アメリカ側はこれを足掛かりに「夢よもう一度」と、自動車などでの協議の枠組みを強引に割り込ませ、押し売り再発の危険は次第に強まりつつあるのが現状です。



通産省国売り物語7・8・9
http://1234tora.fc2web.com/kuniuri4.htm



http://mkt5126.seesaa.net/article/209257811.html
2010-02-19 http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-640.html


ベクテル社は日本の地熱発電にある程度だが関っている。

つまり、フジタが九州で地熱開発をやったとき、
ベクテルが工事を請け負っていて、た
った一本井戸を掘っただけで フジタの関連会社が日本で最も優秀な地熱井戸を掘り当てた
と発表したのだ。

しかし、その後、どういうわけか開発現場は閉鎖され
フジタも地熱開発から手を引いてしまう。

この事業では数百億円がぱあになったとされている。




その後 土建中堅のフジタは
フジタ(非上場・1999年私的整理、金融支援を受ける。※外資系ファンドが買収) - Google 検索
 ↓
【建設】上場ゼネコン初の倒産から10年―建設業の構造改革は進んだのか?(2007-07-18)

上場ゼネコンの不良債権問題への対応

1999年 3月 フジタ 債務免除 1200億
という無茶苦茶な措置が取られる。
笑いが止まらなかったのは 何処のハゲタカ連中だったか?



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

で こっちの話2010年 フジタ 社員拉致 中国 ネトウヨ - Google 検索を チョット絡める。

尖閣事件というユダヤ米帝の自作自演事件の中で
フジタ 社員拉致 は小沢介入で あっという間に解決した経緯を不思議に思いつつ
ユダヤ米帝→上海閥による尖閣事件のジサクジエン→前原暴走・菅無能・仙谷お手上げ
→小沢へ泣きつき 仕方なく小沢が介入→北京閥へ細野を送りこみ あっという間の解決
という本当の経緯を マスコミ新聞テレビ大手メディアやネトウヨが全く周知させなかった事を思い出す。

さて なんでフジタだったんだろうね?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


そういうのを考慮しつつ 話を戻す。
http://q.hatena.ne.jp/1082364145#a81451

aki73ix522427  2004/04/19 18:18:33

連結ベースの有利子負債ランキングでは、
旧・フジタ(現商号:ACリアルエステート)が有利子負債合計9095億2400万円
(前年度比352億1500万円増、4.0%増)でトップとなった。

同社は2002年10月に会社分割をおこない、建設部門と開発部門に事業分割して再建に入っており、
http://kabu.zakzak.co.jp/news/kiji/2003061301.html


再建は無理かと思いませんか?
・・無理ですな。w
でも 飛ばして飛ばして 今は消えて無くなりました 不思議wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

こういう企業法務も絡んだ債務処理 管財 などなどについては
site:mkt5126.seesaa.net "整理回収機構" - Google 検索
site:mkt5126.seesaa.net "RCC" - Google 検索
で その暴虐ぶりを散々に書いてきた。

外資が絡む法務軍団 と 日本の官憲の露骨な癒着 による 日本の財の強奪の
最大の強奪劇こそが 一連のコイズミ疑獄(郵政やりそな)であり
その他のモノとなれば まさに枚挙に暇が無い という表現でしか語りようが無いからね。

で フジタで何が起きたか?w

まぁ 何を今更な話でしかないんだろうね。




そういう様々な観点を 含めて 以下を読むと とても感慨深いw

★東電OL殺人事件情報求む★ 4
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/archives/1288890270/l50


711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/09(木) 11:02:08.90 ID:QH/oZemL
地熱発電が停滞した本当の理由は、中堅ゼネコンのフジタが九州で
進めていた地熱計画が、当時の通産省を揺るがす大疑獄事件に発展したから。

本来地熱ボーリング費用に当てるべき数百億円の開発費用は、
ほとんど開発に使われず「使途不明金」となる。
政治家へも流れる。

そして、この金の流れを差配していた元通産技官、内田元亨は、
96年に 自宅浴室で「突然死」を遂げる。

内田元亨には、
アメリカのスーパーゼネコン、ベクテル社(CIAに近い)がバックに控えていたとの未確認情報もある。

この大疑獄のため、通産省内部はメチャクチャになり、
フジタは この使途不明金を理由に事実上の経営破綻をした。

このようなトラウマがある自然エネルギーを、
現経済産業省が「及び腰」になるのも、人情としては「ごく当然」である。

現在のインターネットを見ているだけでは、
「地熱が敬遠された真の理由」は わかりっこない。
詳細を知りたければ、国会図書館で90年代の経済紙「財界展望」を全て閲覧することだ。

ttp://d.hatena.ne.jp/itarumurayama/19930101


東電OL殺人事件のスレで コレが出てくるかぁ 笑えるなぁ。

ちなみに 記事の元ネタのトコは そういう系ですなぁw なのでコピペは改変してありますw

あと
現在のインターネットを見ているだけでは、
「地熱が敬遠された真の理由」は わかりっこない。という点は激しく同意するけど
財界展望の様な宗教右翼の御用達を読んで まともな神経の持ち主になれるのならば
そら おめでたいなぁw としか言いようがない話でもある。



内田元亨 - Wikipedia

1951年通産省入省。
米国留学、通商局通産調査課、重工業局重工業課などを経て、
当時の通産技官の最高ポストである重工業局鋳鍛造品課長に就任。


在官中に論陣を張り、
「住宅産業」というコトバを発信、人口に膾炙(かいしゃ 人々の口に上りもてはやされること。)させた。

1969年に退官後、評論家、技術コンサルタントをしながら、
先端工業技術開発を目的とする「わざ」社を設立。

「わざ」は世界最大のエンジニアリング会社で
CIAとの蜜月も囁かれたベクテルと合弁会社を作って、
大分県地熱発電プロジェクトを手掛けていた。


1989年から1993年の間には、全国長者番付の上位100位以内に顔を出していた。



1989年2月上旬あたりから始められた
通産省大物技官OBであった内田、フジタ、フジタから正式発注を受けたベクテル社との地熱発電事業も
その後、1990年代半ば以降頓挫し、事業に対する国による債務保証の思惑に対して、
1996年前後から対立関係にあった牧野力の次官就任阻止などの意図も介在し、
内田が重工業局鋳鍛造品課長時代に同課係長にあった高島章
(1963年入省、同期に牧野力ら。1995年特許庁長官で退官)と緊密な結びつきがあったことから、
通産省4人組事件などと巷間いわれた省内外を巻き込んだ派閥闘争への関わりが表面化した。





その渦中にあった 内田は1996年に自宅で突然逝去した。享年71。


脚注
a b c 飯村直也 「地熱発電事業で暗躍、旧通産省OBが企業から引き出した600億円」
『日本経済「黒幕」の系譜』 (別冊宝島編集部、宝島社文庫、2007年1月)

『実名・霞が関』(歳川隆雄、ザ・マサダ、1996年10月) P42 ~


参考文献
飯村直也 「地熱発電事業で暗躍、旧通産省OBが企業から引き出した600億円」
『日本経済「黒幕」の系譜』 (別冊宝島編集部、宝島社文庫、2007年1月)
『実名・霞が関』 (歳川隆雄、ザ・マサダ、1996年10月)
 ↓
2010-06-09 経済産業省の独自仕分けにより、地熱発電の開発補助等が打ち切り
http://d.hatena.ne.jp/kalessinlord/20100609/1276082203

今回経済産業省の独自仕分けの対象になったのは
計20億円程度の この予算です。

事実上日本の地熱開発促進の予算の殆んど全てです。



ここ数年脚光を浴びている太陽光、風力発電と違い
地熱エネルギーは温泉業界の反対もあり、
長らく不遇をかこってきました。

今回削減が決定したのは調査、建設にかかわる予算ですが、
研究開発に関する予算は既に7年前に打ち切られています。

かつては30人ほどの体制であった産業総合研究所の地熱グループも、
http://unit.aist.go.jp/georesenv/geotherm/memberJ.html
現在5人です。なんと。


日本の地熱発電開発の失われた10年
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kalessinlord/20100606/20100606022106.jpg
パラダイム転換としての地熱開発推進 村岡洋文 5p






規制仕分け−地熱発電|河野太郎公式ブログ
http://www.taro.org/2010/06/post-766.php

今日のヒアリングで一番ひどかったのが環境省の地熱発電に関する規制だ。

昔から、
 環境省は裏で経産省と地熱発電を開発させない
という覚え書きを交わしている 等と噂されていたが、

それも本当かなあと思わせる。


日本の地熱発電のキャパシティは約2000万kWと言われる。
現在の国内で行われている地熱発電は18地点21ユニット。
そのうち1万kWを超えるものは12地点。
合計54万kWが日本の地熱発電の現実だ。

CO2を25%削減する鳩山前内閣の政策の基礎になっている小沢大臣試案は、
2020年までに地熱発電を171万kWに増やすとしている。(キャパシティの一割以下だ!)

が、地熱発電の調査に5年から10年かかり、
工事に2年から3年かかるとすると、ほとんど小沢試案は達成できない。

地熱発電に関する規制としては
温泉法第三条で、土地の掘削の許可は都道府県知事が出すことになっているが、
温泉法第四条で、温泉の湧出量、成分、温度に影響を及ぼすと認められないときは、
『許可を出さなくてはならない』。

しかし、科学的に温泉に影響があるかどうか結論を出すためには、
都道府県レベルでは知見が足りない。

現に、この十数年、一件も許可が出ていない。

本来、大深度の地熱発電を進めるならば、環境大臣が許可を出すべきだ。
が、環境省は、この規制を変えようとはしない。
たぶん、許可を出してしまって温泉に影響が出たときに困るからだ。
環境省がとれないリスクを都道府県が取るだろうか。

さらに、昭和四十七年の局長通達で
「公園内の地熱発電の開発は当面六地点とし、当分の間、新規の調査工事及び開発を推進しないものとする」
というのが生きている。

公園内の六地点というのは既に開発済みなので、この通達がある限り、地熱発電は進まない。
大臣試案で3倍にするはずなのに。
環境省は、個別に審査するからいいんだ としているが、
この通達がある限り、原則禁止、例外的にお上が認めてやる
というスタンスになってしまう。

なぜか、この六地点を削除しろ と言う要望にも、頑として環境省はクビを縦に振らない。









はい。
まだまだ引っ張りたいんだけど、それだけで終わっちゃうwww
で、出すトコが中途になってる気がしてますがwww
地熱にはまだまだ行けませんwww
ベクテルもwww

まぁ、96年に自宅浴室で「突然死」を遂げた内田元亨です。





経産省4人組を動かした内田元亨。

亡くなったのが96年の12月。



http://t.co/LXGFY71pR6

現JAXAの理事長である立川敬二がNTTの代表になった年の1998年は、経団連の会長が豊田章一郎から今井敬に変わっている。
その今井敬は、翌年、日本電信電話株式会社取締役になっている。
その 今井敬 の兄の今井善衛元通商産業事務次官は、内田元亨と同じく96年に脳梗塞で死んでいる。



今井善衛 wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E4%BA%95%E5%96%84%E8%A1%9B

今井 善衛(いまい ぜんえい、1913年10月5日 - 1996年4月19日)は、日本の官僚。元通商産業事務次官。

略歴・人物 [編集]
1931年、東京府立第一中学校卒業、第一高等学校を経て、1937年、東京帝国大学法学部政治学科卒業、商工省入省。入省同期に、佐橋滋、松村敬一(経企事務次官、通商局長、繊維局長)、樋詰誠明(大丸副社長、中小企業庁長官)、川瀬健治(東京通産局長)など。佐橋、今井、樋詰で「昭和12年入省組の3羽烏」と呼ばれていた。

通商局通商政策課長、大臣官房総務課長、中小企業庁振興部長などを経て、1958年8月5日、繊維局長に就任。1959年2月、日米綿製品交渉のため、今井・牛場信彦外務省経済局長・ヘンリー・カーンズ米商務次官補らの三者間で意見交渉を持つ。12月、繊維原料である羊毛・原綿輸入の自由化を言明し、綿花の輸入割当を骨子とした繊維工業設備臨時措置法(1956年9月成立)を改正した。のちに池田勇人通産大臣時の、佐藤栄作の“資金源”のひとつを絶つこの自由化措置が、今井が最終的に事務次官の座に座ることになるとしても、佐橋との次官最終レース緒戦で佐藤栄作通産大臣によって特許庁長官に出されるのを決定的にしたといわれている[1]。

1961年2月3日、通商局長に就任。香港綿製品などの対米輸出割合が伸びる中、牛場信彦外務審議官、関守三郎外務省経済局長、今井通商局長、松村敬一繊維局長らで引き続いて、日米綿製品5ヵ年協定(1957年 ~ )に基づき自主規制を敢えて続行した。1961年7月13日、1963年4月からの自由化目標を半年繰り上げると発言し波紋を広げた。また、GATTによるIMF八条国移行勧告を延期させるため、自由化率を引き上げ、利率の大きい石油・石炭を自由化品目に組み入れた(合わせた自由化率は65% → 93%に)。

1962年7月、特許庁長官に棚上げされたが、福田一通産大臣の下、1963年7月23日から通産事務次官に就任する。当時の福田一大臣の通産人事への介入により、スポンサー無き経済統制法案・特振法で鳴らす同期の統制派の代表格かつ省内主流となっていた佐橋滋を押しのける恰好で特許庁長官から横滑りした。理由として、居丈高な佐橋よりも人当たりのいい今井が、“サービス官庁の時代”に適った人物だったと喧伝されたが、佐橋が特振法の成立を急ぐあまり、佐藤栄作に近づきすぎたのが池田派や党人派の逆鱗に触れ、大野派の福田が次官人事に断を下したとされている[2]。

これは当時の松尾金蔵次官、渡辺弥栄司官房長(1962年7月10日まで。官房付を経て、1965年4月1日から貿易振興局長、同年6月から通商局長、のち弁護士。1939年入省)ら事務方の了承を得ずに行われたことから、省内の「佐橋連隊」らの動揺もあり、巻き返しが策されたりしたが、同年7月21日に今井次官が内定した。次官内定までに20日間要した。のち、常務佐橋滋に1964年10月23日にて次官の座を譲る[3]。退官後の1965年9月、日本石油化学に。1970年12月、同社社長として日本石油化学が最大株主の古河化学が経営困難に陥ったことから全株式を譲り受け、吸収合併した。

入省当初から通産官僚(商工官僚)のホープとして、本流ラインだけを歩み、常にライバルの佐橋に一歩リードしていた。こうした経歴からか、今井に対しては、頭が切れるから、そのため先が見えすぎて、部下に任せず、部下にとっては多少煙たい一面を持っていたと評されている[4]。

佐橋に対して、今井はいわば「国際派」、「通商派」あるいは「自主調整派」とされ、早期の市場の自由化を唱えた。現在では自動車産業などの驚異的発展からみても今井に先見の明があったとも評価されている。城山三郎・「官僚たちの夏」にて風越(佐橋滋)と同期で次官を争う玉木のモデル。生前、この作品に関する取材などは一切断っていたという。以後、日本石油化学社長・顧問。1996年4月、脳梗塞で永眠。

経団連会長であった今井敬は弟にあたる。甥に経産官僚の今井尚哉(安倍晋三内閣総理大臣政務秘書官)。妻は山崎種二の娘。間に1男2女がおり、長男は元山下汽船社長・山下太郎の孫娘と結婚している[5]。



いい年なんで、死に際は今はまだスルーしときます。

とりあえず、綿花w
資源派(国際派)の今井 善衛。
シオニストwikiじゃ、褒め称えられてまんなw

>常務佐橋滋に1964年10月23日にて次官の座を譲る[3]。退官後の1965年9月、日本石油化学に。1970年12月、同社社長として日本石油化学が最大株主の古河化学が経営困難に陥ったことから全株式を譲り受け、吸収合併した。


千葉の劣化ウラン管理倉庫 震災コンビナート火災で「危機一髪」
2011/7/ 4 19:23
http://www.j-cast.com/2011/07/04100426.html?p=all
文部科学省の資料を見ると、1969年7月に国の許可を得て劣化ウランの使用を開始したが、3年後の72年にはストップしている。


●誠天調書 2012年10月14日
○俺達に時間は残されているのだろうか? 戦略的には“詰んでる”に等しい。
http://mkt5126.seesaa.net/article/297352725.html

●憂いの果てに 〜次男坊のアフォリズム〜
○水俣病は劣化ウランが原因物質ではなかったか。 2013/1/8

http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-492.html



で、1970年といえば、、、

3月5日に核拡散防止条約が発効。
(ニホンは、2月3日に調印、1980年までに100カ国が批准)
4月8日に新型動力炉の名称を、FBR実験炉「常陽」、FBR原型炉「もんじゅ」、ATR原型炉「ふげん」と決定し、11月30日 「ふげん」の建設許可が下りた。



○カネの塊達は、脱皮を繰り返すだけ。
http://t.co/mY7drUHWnv

この預金保険法の制定された1971年。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1971%E5%B9%B4

1月、世界経済フォーラム(ダボス会議)の設立。
7月1日 - 公害対策本部を発展する形で環境庁発足
8月15日 - ニクソン・ショック(アメリカが金とドルの交換停止




自由貿易推進(米金融屋のいいなり)の通産省から日本石油に天下った 今井 善衛。
1965年に日本石油化学に天下りし、1970年に古河化学を吸収合併。

この1965年〜1970年だと、日本の石油化学企業群は、劣化ウランの輸入と使用を行っていた時ですね。ブタンガスが何とかと言って。。

で、1971年に為替変動性に移行する(金とドルの交換の停止)。
そして、石油の決算をドル建てに変えた。
ニクソンショック。
そして、2年後の第四次中東戦争、オイルショック。

1971年に銀行屋の銀行屋による銀行屋の為の銀行救済法である預金保険法が制定している。



ニホンの宗教ウヨクは、為替変動性への以降をあらかじめ知っている動きですね。
(ダボス会議なんて形だけ)

預金保険法なんて、そのまんまだし、劣化ウランの輸入は、新しいエネルギー資源という名目(オイルショックが分かっていたからこその石油化学)で購入している動きです。

そして、核燃料サイクル(燃えないウランとプルトムニム、MOX)も始まっている。
(ふげんは、重水を使い、過程でトリチウムが出来る。水爆燃料サイクル構想ですね。)
隠れ核武装が蠢いてるのが分かります。

それにゴミ利権である環境庁、産業廃棄物ですね。
核の捨て場と核のサイクルの確保。

↑で出している、誠天サンの記事にもあるコレ↓
http://www.taro.org/2010/06/post-766.php
規制仕分け−地熱発電|河野太郎公式ブログ


今日のヒアリングで一番ひどかったのが環境省の地熱発電に関する規制だ。

昔から、
 環境省は裏で経産省と地熱発電を開発させない
という覚え書きを交わしている 等と噂されていたが






さて、この時代の次兄 今井謙治 の動き。
第1潜水隊群
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E9%9A%8A%E7%BE%A4
今井賢二 - 1970年6月15日 海兵67期 第1護衛隊群司令 海将補

第1護衛隊群
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E8%AD%B7%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E7%BE%A4
今井賢二 1970.6.16
1971.6.30 海兵67期 第1潜水隊群司令 自衛艦隊司令部幕僚長

今井敬 wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E4%BA%95%E6%95%AC
次兄は今井謙治(第1護衛隊群司令、海将補)。


漢字表記が違うのだが、
今井賢二=今井謙治 だろう。。(多分w)
てか、ネットに次兄の情報が全然ないね。。

石油採掘船は、地下10〜20`を掘りますね。
人工地震を知っている方なら当たり前〜なお話ですが。

資源派(国際派)の今井善衛は、通産省の事務次官に登り詰め、日本石油に天下りをしていたその時に、
今井の弟は、自衛隊で第1護衛隊群の司令〜第1潜水隊群の司令になっています。

じゃ、人工地震を起こしてるって船長が言ってたwちきゅう号へw


ちきゅう号を持つ、JAMSTEC(独立行政法人 海洋開発研究機構)の
始まりも1970年。


海洋開発研究機構 沿革
http://www.jamstec.go.jp/j/about/history/index.html
旧海洋科学技術センター
http://www.jamstec.go.jp/j/about/history/old_history/hist-j.html

1970(昭和45年)
12月 経済団体連合会が政府に対し海洋科学技術センターの設置を要望    
(昭和46年)                 

5月 海洋科学技術センター法(昭和46年法律第63号)、第65国会で成立

1970 世界の海洋開発
■ IOC(政府間海洋学委員会)のGIPME (世界海洋環境汚染委員会)が発足
10月 海洋科学技術センター発足
■ 2000m級潜水調査船「ディープスター」(米)完成
  企画部 実験研究部設置 ■ FAMOUS計画(米・仏共同)で東太平洋海膨調査





http://www.jamstec.go.jp/j/about/outline/index.html
名称 独立行政法人海洋研究開発機構
設立 1971年10月 認可法人海洋科学技術センターとして設立
2004年4月 独立行政法人海洋研究開発機構発足

役員 理事長(常勤) 平 朝彦
理事(常勤) 白山 義久
理事(常勤) 堀田 平
理事(常勤) 土橋 久
監事(常勤) 他谷 康
監事(非常勤) 中原 裕幸



経団連がJAMSTECの設立を要請。
じゃ、この時の経団連会長は誰?



植村 甲午郎

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%9D%91%E7%94%B2%E5%8D%88%E9%83%8E

(うえむら こうごろう、1894年(明治27年) 3月12日 - 1978年(昭和53年) 8月1日は、昭和初期から後期(1920年代 - 1970年代)の財界人、官僚。札幌オリンピック組織委員会会長。



来歴・人物

東京に植村澄三郎の長男として生まれる。祖父厚十郎は旧幕臣で甲府勤番士として甲府へ赴任していた。慶應義塾幼稚舎、東京府立一中、第一高等学校を経て1918年(大正7年) 東京帝国大学法学部政治学科を卒業。

農商務省に入省。大臣秘書官、資源局調査課長を務めた後、企画院調査部長となり、国家総動員法策定の指揮を執る。1940年(昭和15年) 企画院次長。

1941年(昭和16年) には九州の石炭王・松本健次郎に請われて、「石炭統制会」の理事長となる(松本が会長)。戦後も松本の引きにより、1945年(昭和20年) 経団連の前身である「日本経済連合委員会」の副委員長兼事務局長となり、1946年(昭和21年) に経団連が発足すると引き続き事務局長に就任した。翌1947年(昭和22年) に公職追放。

1951年(昭和26年) 追放が解除されると経団連に復帰し、相談役を経て副会長に就任する。1955年(昭和30年) には植村が中心となって「経済再建懇談会」を立ち上げ、これまでの個々の企業による献金から、戦前から岸信介ら商工省・企画院人脈との深い繋がりから、経済界・財界から政界・自由民主党への今に至る画期的な献金システム、俗にいう奉加帳方式を整備した。また、フジテレビジョン会長、ニッポン放送社長・会長、日本航空会長等も務めた。

株式会社フジテレビジョン創設に関わり代表取締役会長、株式会社ニッポン放送の社長や会長を務めたことから、鹿内信隆との関係が深く、信隆の長男・鹿内春雄が彼の秘書を務めていたことがある。

1960年(昭和35年) 、足立正(日本商工会議所会頭)らと発起人となり社団法人日韓経済協会を設立。自ら初代会長に就任する。

1968年、石坂泰三の後を継いで経団連会長に就任すると、副会長を5人から7人に増員し、集団指導体制の下で調整力を発揮しながら、石油ショック・日米繊維交渉など内外の経済問題に対処していった。業界内・間の調整にその威力を発揮したが、この頃の環境や公害問題への対処に植村の限界があったとも云われている。1974年には会長を土光敏夫に引継ぎ、名誉会長となる。1972年(昭和47年)勲一等旭日大綬章受章。1978年8月1日死去。享年84。





ザ、統一教会wな経歴ですね。

日米繊維交渉w綿花っすか?w

資源局ね。そーですか。

国家総動員法の指揮ですか、おっかねー事です。

で、家系図を見ると、YMCAな渋沢栄一と繋がるんですね。



農商務省に入省。大臣秘書官、資源局調査課長を務めた後、企画院調査部長となり、国家総動員法策定の指揮を執る。1940年(昭和15年) 企画院次長。


農商務省 (日本)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E5%95%86%E5%8B%99%E7%9C%81_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)

農商務省

農商務省(のうしょうむしょう)は、1881年(明治14年)に設立され、明治政府の殖産興業政策の一翼を担った国家機関。

太政官制の下では農商務卿を長とし、内閣制度創設後は農商務大臣を長とする。所管分野は、主に農業・林業・水産業・商工業といった諸産業である。1925年(大正14年)に、農林省(現:農林水産省)と商工省(現:経済産業省)に分割された。

工場法制定へ向けて全国工場労働者の実態調査をし、その報告書である「職工事情」を1903年(明治36年)に刊行した。

[編集] 農商省
第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)11月1日、農商省(のうしょうしょう)が設置された。明治から大正にかけて存在した「農商務省」と異なり、務の文字がないことに注意を要する。長は農商大臣である。

これは、商工省の主要部門が軍需省に移動したため、商工省の残存部門を農林省に統合して「農商省」としたものである。終戦後、軍需省という組織は存在意義を喪失したため、1945年(昭和20年)8月26日、再び農林省と商工省とに分離・復活した。



資源局
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%87%E6%BA%90%E5%B1%80

資源局(しげんきょく)は、1927年(昭和2年)、日本の内閣の外局として設置された国家総動員準備機関である。




企画院
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%B1%80

前身は1935年(昭和10年)5月10日に設置された内閣総理大臣直属[1]の国策調査機関である内閣調査局にある。「重要産業統制法」(1931年(昭和6年)7月公布)から始まり、五・一五事件を経て二・二六事件以後の陸軍内での統制派の勃興以後、所謂「新々官僚(新官僚)」の牙城・内閣調査局の権限は強まり、より強力な重要政策を立案する組織として、1937年(昭和12年)5月14日に企画庁へ改組。同年10月25日に内閣資源局[2]と統合し企画院が発足した。重要政策の企画立案と物資動員の企画立案を統合し、以後、戦時下の統制経済諸策を一本化・各省庁に実施させる機関となり、国家総動員法(1938年(昭和13年)5月5日施行)制定以来その無謬性を強めていくこととなる。






大日本帝国の中枢、核そのものな機関。

すべてと繋がってくるところだろうけど、これをもう一回おいとこ。



http://desuperado.seesaa.net/article/282547465.html

ノーベルを見ていたら、戦時中の日本の核兵器開発のお話も付いてきました。↓



http://mobile.twitter.com/jhatajinan/status/226411105981956097

ハタ次男
日本における核開発の第一人者、仁科教授が開発したサイクロトロンは陽子ビームを加速させ、擬似中性子をつくり上げるもので、おそらく、ウラン238に擬似中性子をぶつけて、プルトニウム239を生成することも可能だったはずだ。






○ノーベル賞は、何のため?
http://watch-fr-br.iza.ne.jp/blog/entry/905895/

戦時中、日本で一日も完成が待たれていたマッチ箱一つの大きさで戦艦一つを沈めるといわれていた新兵器は今日でいう原爆のことであった。そして仁科芳雄博士の研究では実験段階ですでに完成していた。しかし、その基礎理論が完結をみないでおり理研内では研究員たちが手分けして研究にあたっていた。

それが一応のまとまりをみたとき、これを一つの学説としてはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部に洩らしてはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁された。ところがそれを、当時理研にいた湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績の論功行賞としてノーベル賞を授与させている。日本の利益にならず米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。まさに国賊である。


仁科芳雄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E7%A7%91%E8%8A%B3%E9%9B%84








ああw
くっちゃくちゃw
一発目は完全に下書きメモのようになりますたw
(それでも投稿しちゃうんだがw)

次は、NASAやらナンやらをw
posted by デスペラード at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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