2011年06月28日

被ばく調査

福島第1原発:被ばく調査の浪江町民「影響なければ安心」
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110628k0000m040066000c.html


東京電力福島第1原発事故を受けた福島県の全県民健康調査を前に、放射線医学総合研究所(千葉市)で、比較的高い放射線量を浴びたと見られる住民の先行調査が27日から始まった。最初に検査を受けた同県浪江町の住民らが記者会見した。

 検査を受けたのは30〜60歳代の男女10人。尿検査、体表面の汚染検査、甲状腺モニターのほか、全身の放射性物質の量を自動計測する「ホールボディーカウンター」を使い、内部被ばく線量を調べた。結果は7〜10日で判明し、直接、本人に説明することを検討している。

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 放医研は10日間で計約120人の検査を予定。4歳以上の未成年者約50人も検査を受ける。【味澤由妃】

毎日新聞 2011年6月27日 20時26分


>直接、本人に説明することを検討している。

しないのw

まぁ、放医研と聞くだけでアレなのだがw
あくまで研究機関であり、医療機関ではないホーイケン。
被ばくについて、医療をしないで研究(調査)をしていたといえば「ABCC」



原爆傷害調査委員会(ABCC)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E5%82%B7%E5%AE%B3%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A



http://blogs.yahoo.co.jp/mitokosei/10261999.html
ABCCに関する朝日新聞の記事(1998年7月29日付)

記者(添田孝史)の質問に答えたのは、87年から全米に散らばるABCC関連の文書を探し集め、ABCCの元所員らにインタビューして、被爆者研究の歴史を調べているペンシルベニア大のスーザン・リンディー教授。

Q: ABCCの研究は軍事目的だったのですか。

A: 研究は、核兵器が人類にとってどんな意味を持つかを決めるためのもので、冷戦戦略の一部だった。米国の将来の核戦争に備えるためだったことは疑いの余地がないニューヨークに原爆が落とされたら社会的にどうなるか、人問がどうなるか、というモデルでもあった。

Q: ABCCは調査だけで治療はしないといわれてきました。なぜでしょう。

A: 治療すれば、原爆投下の謝罪につながると考えていたようだ。ABCCは、多い時は千人を超える職員を抱えていた。16万の被爆者を選び、どこでどんな状況で被爆したかを数年かけて一人ひとりにインタビユーし、亡くなった7500人を解剖した。

(記者のコメント)
現在も母集団の12万人について、亡くなるたびにその死因を追跡し2万人を2年に1度健康診断する。8万人の被爆二世、そして2800人の胎内被爆者の調査も継続中だ。放射線以外でも、疫学調査としてこれを超える規模のものは世界に存在しない、といわれる。

「葬られた原爆展・スミソニアンの抵抗と挫折」(1995年、五月書房)より。

『米国政府は、放射能が多数の人口に及ぼす影響をよりよく理解するため、1947年に米国防総省学士院の後援で原爆傷害調査委員会(ABCC)を発足させた。この委員会は結局12万人の原爆生存者を確認し、その人たちのいた正確な場所と放射線量を確認し、長期にわたって健康状態を調べることになった。この調査委員会は犠牲者に対し治療をしなかったので、日本で厳しく非難された。治療をしないという決定は二つの理由からだった。それは、日本の医者から患者を奪いたくないことと、生存者を治療すれば爆撃した罪を認めることになるからであった。日本人の側からすれば、合衆国政府はこの調査委員会を通し、日本への原爆投下を一つの実験として、生存者をモルモットと見なしているとしか思われなかった』


深川宗俊氏「広島はたたかう」より(1966年、胎内被爆者・被爆二世を守る会発行)

1945年8月6日、広島市内の救護所、病院は全滅しました。多数の救護班や救援隊が県内・県外から送られて来ますが、日本の調査団の貴重な調査研究は、すべて米軍の占領軍の命令で没収されました。原爆に関する研究発表も、原爆をテーマにした芸術作品も、9月19日に米軍が実施したプレスコードで、私信まで検閲されました。当時宇品にあった原爆救護病院も10月14日、米軍メイソン大佐らの手で、それまで行った調査結果の提示を求められ、あらゆる研究資料や剖検材料を没収しました。メイソンらは、それは作戦行動の一部であると脅したのです。
アメリカはABCCの敷地について、元宇品と比治山を要求したが、広島市は強く反対の意向を伝えました。「どうしても反対すれば、広島市にとっても日本政府にとってもいい結果にはならない。」というGHQの殺し文句でけりがついたのです。占領中はこのような殺し文句が大手を振って通ったのです。学校の授業中でも子どもが連れ去られたり、街で遊んでいる子どもにチョコレートなどをばらまいて、ジープに乗せていったりしたのです。それに反すると、軍法会議にかけると脅すのです。ある少女の場合は、一糸まとわぬ裸にされたうえ、前・横から写真を撮られ、それを気にやみ精神異常をきたしたそうです。

岡村ヒサさんの証言
 
 私は昭和20年当時、尾長町で産院を開業していました。41歳でした。その頃はまだ家庭分娩が多うございましたが、だんだん少なくなりまして、昭和30年頃には、皆産院に吸収されました。
 何も記録は持っていませんが、奇形がたくさん出ました。当時はABCCへ、みな報告しなくてはいけないシステムになっていました。奇形が出ましても、報告するのを嫌う人もございましたので、しなかったこともあります。

講談師、久保浩之さんの証言
 
 妻は的場の電停にいましたが満員で次の電車を待っていて原爆に遭いました。前の電車に乗っていたら助からなかった。その後ABCCが何度も呼びに来て、最後は憲兵(MP)と一緒に来て、強制的に比治山の施設に連れて行かれた。抵抗すると軍法会議にかけると脅され、泣きながら採血され、脊髄液も取られた。また、ABCCは死産した奇形児などの胎児を渡すと、内緒で報酬がもらえた。

知人の女性の証言
 
 ABCCで脳を取られて、返された子どもの様子を今でも鮮明に覚えている。頭部は目だけが見えるが、他の部分はすべて包帯でグルグル巻きにされて、悲惨な状態だった。

当時の女学生の証言

 2年後、ABCCが市内の学校を回って、ケロイドのある生徒を教室の外に連れ出して写真を撮っていた。私の学校にもやって来たというので、私はまだ戸が付いていない出口から走って逃げた。



じゃあ、ホーイケンのこんなネタw

元放医研・村松康行博士「チェルノブイリでセシウムの実害は報告されていない」(池上彰の学べるニュース))
http://www.asyura2.com/11/genpatu8/msg/299.html

昨日3月30日、テレビ朝日の番組「そうだったのか!池上彰の学べるニュース〜これからどうなる?どうすればいい?東日本大震災」に出演された学習院大学理学部化学科の村松康行教授は、

「チェルノブイリ原発事故で約6800人が甲状腺ガンを患った。その原因は高濃度の放射性ヨウ素に汚染された牛乳だった。放射性セシウムについては(人体への影響は)実害が出たという報告はないので心配いらない」

と答え、視聴者を安心させた。

また、村松教授は毎日新聞(2011年3月28日付)の記事の中で、次のように答えている。

海だけでなく、土壌に汚染水が漏れ出ている可能性も否定できない。村松康行・学習院大教授(放射化学)は「周辺の土壌の状況にもよるが、ヨウ素やセシウムは土壌に吸着しやすいので、一般的には地下水には行きにくい」とみている。

福島第1原発:注水増やせば汚染水拡大 冷却足踏み
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110329k0000m040152000c.html




うはw流石にイイカゲンwww
読めば分かるけど、原発推進派だすw

んで、現在の理事をば。

現役員

理事長 米倉 義晴(よねくら よしはる)

任期 平成23年4月1日から平成28年3月31日まで

職務 研究所を代表し、その業務を総理する。

経歴
昭和55年7月  京都大学 医学部 助手 採用
平成2年6月  京都大学 医学部 助教授
平成7年5月  福井医科大学 高エネルギー医学研究センター 教授
平成15年10月  福井大学 高エネルギー医学研究センター 教授
平成16年4月  国立大学法人 福井大学 高エネルギー医学研究センター 教授
平成18年4月  現職



理事 明石 真言(あかし まこと)

任期 平成23年4月1日から平成25年3月31日まで

職務 理事長の定めるところにより、理事長を補佐して研究所の業務を掌理する。

経歴
昭和56年5月  自治医科大学内科ジュニアレジデント
昭和62年11月  米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部血液・腫瘍科研究員
平成2年4月  科学技術庁放射線医学総合研究所障害臨床研究部採用
平成4年6月  科学技術庁放射線医学総合研究所障害臨床研究部主任研究官
平成8年5月  科学技術庁放射線医学総合研究所放射線障害医療部室長
平成13年4月  独立行政法人放射線医学総合研究所緊急被ばく医療センター被ばく診療室長
平成15年3月  独立行政法人放射線医学総合研究所緊急被ばく医療センター被ばく医療部長
平成19年4月  独立行政法人放射線医学総合研究所緊急被ばく医療研究センター長
平成23年4月  現職



理事 村田 貴司(むらた たかし)

任期 平成23年4月1日から平成25年3月31日まで

職務 理事長の定めるところにより、理事長を補佐して研究所の業務を掌理する。

経歴
昭和54年4月  科学技術庁長官官房総務課採用
平成11年7月  科学技術庁原子力局核燃料課長
平成12年6月  科学技術庁研究開発局宇宙政策課長
平成13年1月  文部科学省高等教育局医学教育課長
平成15年1月  内閣府原子力安全委員会事務局総務課長
平成17年7月  文部科学省研究振興局振興企画課長
平成18年7月  文部科学省大臣官房審議官
平成19年7月  独立行政法人理化学研究所神戸研究所副所長
平成21年4月  現職



監事 加藤 孝男(かとう たかお)

任期 平成23年4月1日から平成25年3月31日まで

職務 研究所の業務を監査する。

経歴
昭和56年4月  科学技術庁原子力安全局核燃料規制課採用
平成9年8月  海洋科学技術センター企画部企画課長
平成11年5月  外務省欧州連合日本政府代表部参事官
平成14年7月  核燃料サイクル開発機構経営企画本部企画部次長
平成17年7月  内閣府原子力安全委員会事務局総務課長
平成19年4月  文部科学省大臣官房付
平成19年7月  文部科学省大臣官房付(統合国際深海掘削計画国際計画管理法人(IODP-MI)上級顧問)
平成21年7月  文部科学省スポーツ・青少年局主任体育官(命)スポーツ・青少年統括官
平成22年7月  現職



監事(非常勤) 有澤 正俊(ありさわ まさとし)

任期 平成23年4月1日から平成25年3月31日まで

職務 研究所の業務を監査する。

経歴
昭和50年4月  花王石鹸(株)入社
平成6年2月  花王(株)食品研究所長
平成9年2月  花王(株)パーソナルケア事業本部商品開発部長
平成15年2月  花王(株)化粧品事業本部商品開発部長
平成19年4月  花王(株)ビューティーケア事業ユニット部長(商品開発担当)
平成22年6月  モルトンブラウンジャパン(株)非常勤顧問
平成23年4月  現職


ほいで、理事長の米倉が福井医科大学と福大で教授を務めた「高エネルギー医学研究センター」
平成6年度から発足だす。
ええと、もんじゅちゃんの「初臨界」の年だすねw



おまけ

広瀬 隆 著   

腐蝕の連鎖
薬害と原発にひそむ人脈
http://ueno.cool.ne.jp/fujiwara/index.html




posted by デスペラード at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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